00 オリジナルテキスト

2008年11月22日 (土)

オリジナルテキスト「救い」

 オリジナル個人テキスト「罪」において、人間は、罪を犯さずにはいられない、生まれながら罪の性質を持っていることを見てきました。そして、自分の力に頼るなら、ますます神から離れ、罪を重ねていってしまう状態であることをも見てきました。罪というものを知るなら、「人間の罪深さ」と「神の聖さ」の隔たりは果てしないものに思われ、橋渡すのに十分な「救い」が必要なことに気付くでしょう。

今日は神が備えてくださっている救いの道を見ていきましょう。

 

1. あなたは、人が犯した罪について、神はどのように感じられていると思いますか?

 ①怒り  ②悲しみ ③無関心(他人事) ④ 絶望  ⑤その他(具体的に)

 

 A:罪に対する神の思い

神は罪を怒られ(民数記16:22, 申命記9:18他)、罪によって人が滅びに向かうことを悲しまれる(詩篇78:40, マタイ23:37, エペソ4:30)。

 

 

罪の贖い】

「律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、と言ってよいでしょう。また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです」(ヘブル9:22)

1.旧約に見る罪の赦し(出エジプト30:10 

「アロンは年に一度、贖罪のための、罪のためのいけにえの血によって、その角の上で贖いをする。すなわち、あなたがたは代々、年に一度このために、贖いをしなければならない。これは、主に対して最も聖なるものである。」(出エジプト30:10)

罪の赦しのためには、その都度、傷のない動物(牛、やぎ、やぎ、羊、鳩)がささげられた(レビ4章)。しかし、それは完全な赦しではなかった。

「律法には、後に来るすばらしいものの影はあっても、その実物はないのですから、律法は、年ごとに絶えずささげられる同じいけにえによって神に近づいて来る人々を、完全にすることができないのです。もしそれができたのであったら、礼拝する人々は、一度きよめられた者として、もはや罪を意識しなかったはずであり、したがって、ささげ物をすることは、やんだはずです。ところがかえって、これらのささげ物によって、罪が年ごとに思い出されるのです。雄牛とやぎの血は、罪を除くことができません。」(ヘブル10:1-4) 

2.完全な贖い(ヘブル9:11-14

「しかしキリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです。もし、やぎと雄牛の血、また雌牛の灰を汚れた人々に注ぎかけると、それが聖めの働きをして肉体をきよいものにするとすれば、まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。」(ヘブル9:11-14)

神が人の形をとって(肉体を持って)地上に来られ、贖いの供え物となって、十字架にかかり、罪のない血をささげることで、完全な贖いとなられた。

3.勝利の復活(Ⅰコリント15:54-57

「朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、『死は勝利にのまれた。』としるされている、みことばが実現します。死のとげは罪であり、罪の力は律法です。しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。」(Ⅰコリント15:54-57)

キリストが贖いの犠牲となられたというだけでは、罪の赦しはあるが、その後、私たちは、孤児のようにどうすればいいのかわからなくなり、霊的貧しさから、元の罪に戻ってしまうことになるだろう。

「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。いましばらくで世はもうわたしを見なくなります。しかし、あなたがたはわたしを見ます。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです。その日には、わたしが父におり、あなたがたがわたしにおり、わたしがあなたがたにおることが、あなたがたにわかります。わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現わします。」(ヨハネ14:18-21)キリストが弟子たちに予告されていたとおり、キリストは死に打ち勝ち、よみがえられたのである。

 

救い】 

1.私たちの救い(ローマ10:9-10

「もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」(ローマ10:9-10)

神であられるイエス・キリストが、自分の主であると告白し、自分の罪のために十字架にかかって死んでくださり、3日目によみがえられたと信じるならば、救われるのである。

2.救いの3面

①新生「義とされる」(ヨハネ1:12, Ⅰヨハネ5:11,12

「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」(ヨハネ1:12)

「そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。」(Ⅰヨハネ5:11,12)

イエス・キリストを信じた時、人はその瞬間に義とされる。それは自分の行ないや努力からではなく、ただ神の一方的な恵みによる。この恵みによって救われた者は、永遠のいのちが神により保障されている。

②聖化「救われ続ける」(ピリピ1:6

「あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。」(ピリピ1:6)

救われた後、聖霊の導きによって神を愛し、神に従うことがどのようなことであるかを、生涯を通して学ぶ。人は誰でも主から徐々に聖められつつある途上にある。

③栄化「救いの完成」(Ⅱコリント 3:18, ピリピ3:20,21

「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」(Ⅱコリント 3:18)

「けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。」(ピリピ3:20,21)

イエス・キリストが再臨された時、私達は栄光の身体に変えられ御国を受け継ぐ者とされる。

 

 

【まとめ】

1.人はどうしたら救われますか?

 

 

 

キリストを受け入れ、信じたいと思った方は、次のように祈ってみましょう。


天の神様。今まで神から離れて生きてきた私の罪をお赦し下さい。イエス様が十字架で私の罪を贖ってくださったことを信じ、感謝します。イエス様、私の心に来てください。・・・・・・(あとは自己流で何でも祈って下さい)・・・・・・・イエス様のお名前によって祈ります。アーメン

 

 

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2008年11月20日 (木)

オリジナルテキスト「罪」

 オリジナル個人テキスト「神」において、「人間は、神に似たものとして造られた。」ことを見てきました。人間が神に似たものとして造られたのなら、「どうして完全ではなくいのか。」「昨今に見られるような凶悪な犯罪を犯す人間がいるのか。」といった疑問が起こってくるでしょう。

今日はどうして人間は神から離れてしまったかを聖書から見ていきましょう。

罪の語源】

1.神からの逸脱(ヘブル3:12,13

聖書の教える罪の語源は「的(目標)をはずす、道をはずす、あるべき場所からの逸脱、迷う、誤る」を意味する一般的な語である。それが聖であり、義である神との関係において「罪」と訳され、神が人に定められた道を踏み外すという意味になった。

「兄弟たち。あなたがたの中では、だれも悪い不信仰の心になって生ける神から離れる者がないように気をつけなさい。『きょう。』と言われている間に、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされてかたくなにならないようにしなさい。」(ヘブル3:12,13)

 

最初の人間の罪】 

1.罪への誘惑(創世記3:1

「さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。『あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。』」(創世記3:1) 蛇が、女に、ほんとうに?と神のことばに疑いを抱かせるようなことばを投げかけた。 

・神に敵対する存在(イザヤ14:12-14

聖書には、神に敵対し、天から落ちたサタンの存在が書かれている。

「暁の子、明けの明星よ。どうしてあなたは天から落ちたのか。国々を打ち破った者よ。どうしてあなたは地に切り倒されたのか。あなたは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう。密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。』」(イザヤ14:12-14) 高慢から、神のようになりたいという思いをもった結果である。 

2.神のことばの変質(創世記3:2,3

「女は蛇に言った。『私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ。』と仰せになりました。』」(創世記3:2,3)神が言われたことばはこうである。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」(創世記2:16,17)女は、神のことばに、「それに触れてもいけない。」を加え、「あなたは必ず死ぬ。」を、「あなたがたが死ぬといけないからだ。」と変えてしまった。

3.神への疑問(創世記3:4,5

「そこで、蛇は女に言った。『あなたがたは決して死にません。あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。』」(創世記3:4,5)蛇は、女の欲望に訴えかけ、「決して死にません」と神のことばを真っ向から否定し、罪へと誘った。

4.神への背反(創世記3:6

「そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。」(創世記3:6)「肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢など」(Ⅰヨハネ2:16)といった世の欲に心を向け、神が言われたことに背いた。そして夫に勧めた。夫は神よりも妻のことばを信じた。

5.自らを取り繕い、神から隠れた。(創世記3:7,8

「このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。そよ風の吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である主の声を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて園の木の間に身を隠した。」(創世記3:7,8) いままで恥ずかしいとは思わなかった裸を恥だと思い、自分の知恵を絞って、苦心していちじくの葉っぱを縫い合わせて、裸の恥をおおった。そして、神の呼びかけにも答えずに、身を隠した。

6.罪がもたらした結末(創世記3:16-19

「女にはこう仰せられた。『わたしは、あなたのみごもりの苦しみを大いに増す。あなたは、苦しんで子を産まなければならない。しかも、あなたは夫を恋い慕うが、彼は、あなたを支配することになる。』また、アダムに仰せられた。『あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。』」(創世記3:16-19) 神のように…と知識の実を食べた結果は、エデンの園からの追放(神からの分離)であった。

 

【罪の性質】

1.罪は発展していく

①神のようになろう(イザヤ14:13,14 

「あなたは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう。密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。』」(イザヤ14:13,14) 自ら神のような存在になろうとする高慢

※神により頼み、神の似姿に変えられていきたいという神への愛から出た思いとは別である。

②自己のわざにより頼む(創世記3:7

「このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。」(創世記3:7)神のようになろうと行動した結果、望んだように少し目が開かれ、知識を得たかもしれないが、その知識は神へと向かわない。

③神を避ける(創世記3:8

「そよ風の吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である主の声を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて園の木の間に身を隠した。」(創世記3:8)うしろめたさにより、神から逃げる。 

④責任転嫁(創世記3:12,13

「人は言った。『あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。』そこで、神である主は女に仰せられた。『あなたは、いったいなんということをしたのか。』女は答えた。『蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べたのです。』」(創世記3:12,13)罪が表面化し、自分以外の人や環境のせいにする。

罪の特徴は、神ではなく、自己が中心である。

2.罪の普遍性(伝道者7:20, ローマ3:23,24,Ⅰヨハネ1:8-10

人は、誰に教えられなくても、罪を犯す。自分に都合のいい嘘をついてしまったり、不機嫌を他人に八つ当たりしてしまったり、人に冷たくしたり、また逆に冷たくされた相手を嫌ったり…そのようなことは誰しも経験があるだろう。

「人から出るもの、これが、人を汚すのです。内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」(マルコ7:20-23)

「昔の人々に、『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし。』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者。』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。」(マタイ5:21,22)

「だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。」(マタイ5:28)

「この地上には、善を行ない、罪を犯さない正しい人はひとりもいないから。」(伝道者7:20)

「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」(ローマ3:23,24)

「もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。もし、罪を犯してはいないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのです。神のみことばは私たちのうちにありません。」(Ⅰヨハネ1:8-10) 

3.罪の予防策(ヤコブ1:14,15 

「人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。」(ヤコブ1:14,15)サタンが私たちに罪を犯させる方法は、欲への誘惑である。自分を喜ばせる欲から出た思いか、神への愛から出た思いか吟味が必要である。

 

【罪の結果と備えられた救い】 

1.罪は広がっていったが、神はその愛によって救いをもたらされた。(創世3:21,ローマ6:23

「神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった。」(創世3:21) 神は、人が自分で作ったもろく、腐りやすいいちじくの葉っぱの腰のおおいをはずされ、血の代価を払って作った皮の衣を着せて下さった。

神は、人間をロボットのようなものとしては造られず、神のように自由意志を持つ者として、神を愛し、人を愛して、生きることを願って造られた。人間に罪が入り、罪によって、神との隔てのない交わりは断たれてしまった。

「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」(ローマ6:23)

罪によって、人間に死が入りこんだ。

・霊の死 神からの分離。

・肉体の死 霊が体から離れ、体がちりに帰る。

・永遠の死 地上の生涯の最後まで信ぜず、悔い改めず、最後まで神から離れていることを自ら望んだ人々への刑罰。

しかし、全知全能の神にとっては、人が罪を犯してしまうこともご存知であった。

人を愛して病まない神は、救いの計画を持っておられた。神との交わりを回復し、神の栄光が満ちる完全な計画である。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)

 

  

【まとめ】

1.罪とは何ですか?

2.誰が罪を犯しましたか?

 

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2008年11月18日 (火)

オリジナルテキスト「神」

 世の中には、神がどのような人かなんて知らなくてもいい、神は神なのだからという人がいます。そのような実態のない不確かなものを神と信じることは気休めぐらいにはなるかもしれません。また、見えないからいないのだと言う人もいます。しかし、空気は見えなくても、確かに存在します。聖書には、神の存在とその神がどのような方であるかということがはっきりと描かれています。

今日は神はどういうお方であるかを、聖書から見ていきましょう。

【神の存在】

1.天と地、万物を創造された方。 (創世記1:1 

人間には、心のどこかに、永遠の神への思いというものがある。人間のどのような種族であれ、至高の存在への信仰を持たない種族を見出すことはできない。聖書は、神の存在の事実を前提としている。「初めに、神が天と地を創造した。」(創世記1:1)

神は、第1日目には「光」を、第2日目には「天」を、第3日目には「地」「海」「植物」を、第4日目には「太陽」「月」「星」を、第5日目には「海の生物」「鳥」を、第6日目には「動物」「人間」を、ことばによって造られた。

神がお造りになったすべてのものは、すべて非常によかった。

第7日目に、神は、なさっていたわざの完成を告げられ、なさっていたすべてのわざを休まれた。そして、第7日目を祝福し、この日を聖とされた。

 

【神の性質】 

「生けるまことの神は唯一であり、その存在と知恵、聖と義、善と真実において無限、永遠、不変の霊である。」(ウエストミンスター小教理問答) 

1.神は霊である。(ヨハネ4:24

 「神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」(ヨハネ4:24)神は霊であるので、肉体に、また、時間や空間に限定されない。

「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」(ヘブル13:5)「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいる」(マタイ18:20) 人間には不可能であるが、霊である神によっては可能である。

2.神は完全である。(マタイ5:48

 「あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。」(マタイ5:48)神は、欠けたところがない完全な方である。人間は完全にはなり得ないが、完全である神を愛して行動していくならば、神ご自身が、神の似姿に近づけてくださるのである。「あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。」(Ⅰペテロ5:6)

 「主は岩。主のみわざは完全。まことに、主の道はみな正しい。主は真実の神で、偽りがなく、正しい方、直ぐな方である。」(申命記32:4)

3.神は人格的存在である。(イザヤ1:18, エレミヤ29:11

神は、知性、感情、意思を持たれる。人と交わりを持つことを望んでくださり、喜び、悲しみ、怒りなどの感情があり、ご計画をお持ちである。

「『さあ、来たれ。論じ合おう。』と主は仰せられる。」(イザヤ1:18)

「幾たび彼らは、荒野で神に逆らい、荒れ地で神を悲しませたことか。」(詩篇78:40)

「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。」(Ⅰテモテ2:4)

「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」(エレミヤ29:11)

4.神は唯一である。(申命記4:35, 6:4

「あなたにこのことが示されたのは、主だけが神であって、ほかには神はないことを、あなたが知るためであった。」(申命記4:35)

「主は私たちの神。主はただひとりである。」(申命記6:4)

神は唯一であるが、また複数形で表現されている三位一体の神である。

「初めに、神(<エロヒーム>)が天と地を創造した。」(創世記 1:1)「神」=<エロヒーム>は、複数形である。

「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。」(創世記 1:26)

「そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、」(マタイ 28:19)

この御名は、父、子、聖霊と3つの名であるにもかかわらず、原語をみると、単数形である。

聖書に三位一体ということばはないが、よく見ると、父なる神、子なる神イエス、人格をお持ちの聖霊なる神が記されている。

 ・「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」(ヨハネ 1:1) ことばがイエスを指していることは、ヨハネ 1:14以下でわかる。

 ・「どうしてあなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、」(使徒 5:3)の箇所では、「あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」(使徒 5:4)と言い換えている。

〈人格をお持ちの聖霊なる神〉

「聖霊が言われるとおりです。」(ヘブル 3:7)

「聖霊が教えてくださる」(ルカ 12:12)

「助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」(ヨハネ 14:26)

 

【神の属性】

1.~7.は、神のみが所有する属性である。

1.自存(出エジプト3:14

「神はモーセに仰せられた。「わたしは、『わたしはある。』という者である。」」(出エジプト3:14)「わたしはあってある者」という意味である。神は何かから生じたわけでもなく、存在や本質を神以外のどのような源にも依存していない存在であられる。

「神である主、常にいまし、昔いまし、後に来られる方、万物の支配者がこう言われる。『わたしはアルファであり、オメガである。』」(黙示録 1:8)

2.全知(詩篇139:1-4

「主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます。あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます。ことばが私の舌にのぼる前に、なんと主よ、あなたはそれをことごとく知っておられます。」(詩篇139:1-4)神に知られずに済むことは何もない。人は行動や思想を神に隠すことはできない。また、神は、はじめからすべてのことを知っておられる。私たちひとりひとりの性格も状況もすべて知ってくださっている上で、計画や目的を持って導いてくださるのである。それゆえに、「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ8:28)と言うことができるのである。

3.全能(エレミヤ32:17

「ああ、神、主よ。まことに、あなたは大きな力と、伸ばした御腕とをもって天と地を造られました。あなたには何一つできないことはありません。」(エレミヤ32:17)

「神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。」(エペソ1:19-21)

神の能力には限界がなく、信じる者には、聖霊の助けによって、その力にあずからせて下さるのである。 

4.不変(マラキ3:6, ヘブル13:8 

「主であるわたしは変わることがない。」(マラキ3:6)

「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。」(ヘブル13:8)

神は、無条件に変わらないお方である。神の契約、約束もまた不変である。それは、私たちの行ないによらず、神の性質に基づくものである。

5.遍在(Ⅱ歴代6:18, エレミヤ23:24

「それにしても、神ははたして人間とともに地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして、私の建てたこの宮など、なおさらのことです。」(Ⅱ歴代6:18)

「人が隠れた所に身を隠したら、わたしは彼を見ることができないのか。――主の御告げ。――天にも地にも、わたしは満ちているではないか。――主の御告げ。――」(エレミヤ23:24)神は、どこにでもご臨在されている。そして、神はある特別な場所に現れる。神棚や神社、お守り、特定の物や場所に限定されるお方ではない。 

6.永遠(イザヤ 44:6

「わたしは初めであり、わたしは終わりである。わたしのほかに神はない。」(イザヤ 44:6) 永遠に存在し、唯一なる神

7.主権(ダニエル4:34

「私はいと高き方をほめたたえ、永遠に生きる方を賛美し、ほめたたえた。その主権は永遠の主権。その国は代々限りなく続く。」(ダニエル4:34)

「神は祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、ただひとり死のない方であり、近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれひとり見たことのない、また見ることのできない方です。誉れと、とこしえの主権は神のものです。アーメン。」(Ⅰテモテ6:15,16) 神の主権は永遠で不動のものである。

 

8.~11.は、私たち人間も共有し得る属性である。

8.聖(出エジプト15:11

「主よ。神々のうち、だれかあなたのような方があるでしょうか。だれがあなたのように、聖であって力強く、たたえられつつ恐れられ、奇しいわざを行なうことができましょうか。」(出エジプト15:11)

「あなたがたの神、主であるわたしが聖であるから、あなたがたも聖なる者とならなければならない。」(レビ19:2)

神の「聖」は、分離と高挙、性格の絶対的完全である。「聖」が人に適用されるときは、神に分離されている、内面の純潔と世的なことからの分離などである。

9.愛(Ⅰヨハネ4:8-10

「愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(Ⅰヨハネ4:8-10)

「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」(ヨハネ 15:13)神は、十字架において、この愛を実践してくださった。 

10.義(申命32:4, ローマ3:26

「主は岩。主のみわざは完全。まことに、主の道はみな正しい。主は真実の神で、偽りがなく、正しい方、直ぐな方である。」(申命32:4)

「それは、今の時にご自身の義を現わすためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。」(ローマ3:26)

人間は自ら義となることはできないが、義である神を信じるならば、その信仰によって義と認められる。

11.真実(ヨハネ1:14, 14:6

「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」(ヨハネ1:14)

「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネ14:6)神は、偽ることがない真実なお方である。神がなされた約束は必ず成就する。

 

【神の目的】

1.人は、神の栄光のために、神のかたちとして、神の霊を吹き込まれて造られた。(創世記1:26, 2:7, イザヤ43:7

「そして神は、『われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。』と仰せられた。」(創世記1:26)

「その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。」(創世記2:7)

人間は、動物とは異なる存在であり、神の持っている理想的な形として造られた。人間を構成している物質の元素はすべて土地のちりにあるものである。

人間は、地と動物すべてを愛によって支配するよう、神との交わりの中に生きるよう、神に似たものとして造られたのである。

「わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。」(イザヤ43:7)

 

 

【まとめ】

1.神はどのような方ですか?

2.神は人をどのような者として造られましたか?

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