真理への愛に立とう!
「それは、真理を信じないで、悪を喜んでいたすべての者が、さばかれるためです。」(Ⅱテサロニケ2:12)
これは、惑わしの力が送られる理由に語られたことばである。
「彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったから」とも言われている。
真理への愛をよく、見極めよう。
その愛は、生ぬるい甘やかす愛ではない。
誰が見ても、不公平のない義が伴う愛である。
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主の裁きは完璧な裁きである。主を恐れ悪に加担すれば、罪が増し加わる。
わたしは何度も機会を与えたが、彼らは自分自身を肥やす意見を好み、その意見
に従って行った。
そういう人を誰が連れ戻すことができようか。彼らの関心は自分の誉れである。
神がしなかったことを、自らの力でやろうと頑張ることは、愛ではない。
「愛」は欺きに使われやすい。
神は愛である。神が愛である。あなたが愛ではないのだ。
自らが「愛」になろうとすれば、サタンが落ちて行った罪が待ち受けている。
愛と義はいつでも共存するもの。義を曲げないといけない愛は、愛ではない。
本当の謙遜は、神を神と認めることがであるが、それは、神のなさることは正し
いと認め、従うことも含まれる。
神のなさることは、一見、理解できないこともあるが、すべて、時にかなって美
しいものである。
そこには混乱がなく、主のみごとな調和がある!