47 コリント人への手紙 第二

2012年12月 9日 (日)

神の制約

「あなたがたは、私たちの中で制約を受けているのではなく、自分の心で自分を窮屈にしているのです。」(Ⅱコリント 6:12)

神を信じ、従いたいと思い、聖書を読んだ時、いろいろな命令が飛び込んでくる。
神の命令を守ろうと必死でがんばり、人にもそれを求めていくと、次第に喜びがなくなっていく。
神が望んでおられることは、何であるかをよく考えよう。
神は愛である。神は規則的に従うことを望んではおられない。
ただ規則的に従うのは、ロボットである。
律法は「神と人との愛に集約される」と主イエスは言われた。
神は神と人への愛から命令を守ることを望んでおられる。
愛から出ているため、それは喜びであり、苦にならない。
人に押し付けることもない。そこには、ただ愛が見られるだけだ。
---------------
まず、神というお方を正しく知ろう。
神がどんなに私たちを愛して下さっているかを。
神の愛の内にとどまり、その自由を満喫しよう。
従わずにはいられない神の愛がそこにある。

| | コメント (0)

2012年8月31日 (金)

神により頼もう。

「ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を
頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。」(Ⅱコリント1:9)

パウロは、死を意識するほどの苦しみの中を幾度となく、通り抜けた。
死に直面する度、小さな自分、土くれにすぎないはかない自分を実感したことだろう。
弱さの中で、主に呼ばわり、幾度となく助けられたことだろう。
死を意識する中で、パウロは、自分の思いを捨て、主に明け渡すことを学んでいった。
その経験に基づくパウロの言葉は、苦しみの中にある多くの兄弟姉妹の慰めとなり、励ましとなった。

----------------------
苦しみを知らない者にとって、他人の苦しみは理解できない。
傷ついたことがない者にとって、他人の傷・弱さは理解できない。
「自分は傷ついたことがない強い心の持ち主だ」という人は、強いようだが、実はもろい強さである。自分を知らない強さである。
かすり傷を含め、肉体に傷ついたことがないと言える人がいないように、心に傷を受けない人などいないのである。
主は、愛する私たちのために、涙を流された。
愛すれば愛するほどに、期待すれば期待するほどに、意に反する行為は、傷を与える。
傷つきながらも、その傷を自分にではなく、神に向け、神により頼むところに勝利がある。
神は、弱さの中に働かれる。弱いということは、実は最強なのである。
神が味方だからである。
傷も苦しみも主の前に差出し、明日も神により頼みつつ、信頼とともに生き抜いていこう。

 

 

| | コメント (0)

2008年6月26日 (木)

その忍耐は主の栄光のものか?

「あなたがたは賢いのに、よくも喜んで愚か者たちをこらえています。事実、あなたがたは、だれかに奴隷にされても、食い尽くされても、だまされても、いばられても、顔をたたかれても、こらえているではありませんか。」(Ⅱコリント 12:19,20)

ひどい腰痛に1年近く、悩まされた姉妹がいた。
とある出来事により、ストレスを受け、その後、しばらくして腰痛になったものであった。
病院へ行き、痛み止めを飲んでも効かず、整体にかかっても治らなかった。
ある時、頭痛の緊張をとくための薬を飲んだところ、腰痛までもよくなったことがあった。
心から来ているのかと思い、腰痛が発している心の声に耳を傾けてみた。
「がんばってつながってないと、切り捨てられる…」腰痛はそう言っていた。

ある日、派遣先の職場の上司の女性から、「つらかったら休んで大丈夫ですからね。」と、優しく言われた。
その一言で、姉妹の目から涙があふれた。
姉妹には、チームで頑張った結果、体のいい言葉だけで認めてもらえず、放置され続け、精根尽き果て、チームが分裂したというつらい過去があり、それを忘れようと、次の職場で必死で頑張っていたのであった。
「私は上に立つ人から、こう接してほしかった。」 この一言を押し殺して、ためていた結果、腰痛になっていたのである。

どうにかなっている時にはわからず、病んで動けなくなった時に、見えてくる真実…。
腰痛になった経験で、姉妹は、すべてにおいて我慢することが決してよいことではなく、感情をうまく表すこともまた大切であることを知ったのであった。

---------------
聖書は忍耐の徳を幾度となく語っている。
しかし、忍耐にも種類がある。何でも忍耐すればよいというものではない。
時には、叱りつけたり、Noということも必要である。
その忍耐は、主の栄光が現われる忍耐であろうか?
耐えるべき事か、そうではない事か、祈り考えてみよう。
蛇のように聡く、鳩のように素直になり、元気に主を証ししていこう。

| | コメント (0)