45 ローマ人への手紙

2013年9月29日 (日)

真理への愛を知ろう!!

「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」(ローマ12:2)

世的なメッセージはクリスチャンを生ぬるくする。
真理をゆがめ、神への侮りの道に誘導する。
神は愛の神なので、そんなに厳しいことも、狭い考えでもないよと、安心させる。
しかし、「金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとや
さしい。」(マタイ19:24, マルコ10:25, ルカ18:25)と言われる神が、果たしてどう言われるか?
神の愛は、見せかけのものではなく、私たちをご自身の義の道に導いてくださるもので、時には厳しさを伴うものだ。
それは、真理への愛(2テサロニケ 2:10)と言われているものである。
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厳しい聖書の言葉には、神の愛がつまっている。
私たちが、弱い人間だということを知っておられるゆえに、滅びに向かわないよ
う願って、語っておられる。
原罪を持つ私たちが、神の国に入るためには、心の変革が必要である。
世に流されず、神に導かれることが必要である。
まず、神の愛がある。
世に流されやすい者であると認め、主にすがっていこう。
主が助け導いて下さる!!

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2013年8月31日 (土)

主の働きに自信がもてない時

「一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。」(ローマ 12:4,5)

あるクリスチャンの姉妹が、自分には、主の役に立つものが何もないように、思
えて仕方がなかった。
何かをしようと思った時には、既に他の人が先にやってしまっていた。
そのような彼女に主は語られた。
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あなたに必要なものは自信を持っての実行である。
あなたは充分役立っている!娘よ、自信を持ちなさい。
あなたに与えた知恵と知識、賜物は無意味なものではなく、人の役に立つものです。
大胆に自信を持って突き進みなさい。
あなたにしかできない働きがあります。
それぞれに与えた良いものを守りなさい。
誰にも奪われないように、私から目を離さないように、従ってきなさい。
私に主権を明け渡した時に、主の道がまっすぐに開かれます。
不要な恐れを捨て、その道を歩んできなさい。
そうした先にあるものは、主の栄光である。
すべての者がその主の栄光を見て、主を恐れ、主である私がどういう者であるかを知ろう。
皆が同じ働きをなすわけではない。
それぞれの内に、みこころによって与られたものがある。
そのみこころのポジションに忠実に従って、それぞれの役割りを果たした時に、主の栄光を見よう。

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2012年11月26日 (月)

教会は励ましの場

「というよりも、あなたがたの間にいて、あなたがたと私との互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。」(ローマ 1:12)

「信仰を持っていたら、教会に行かなくても大丈夫。教会は疲れるし、組織化すると、つまずくことも多いし…。」という考えを時々、聞く。
教会とは何か。教えを聞いたり、賛美を歌ったり、祈ったりするだけのところではない。
それが目的であったなら、自分で学び、歌い、祈れば、事足りる。
教会とは、同じ信仰を持つ者同士が集い、ともに信仰を高め合う場でもある。
互いの信仰によって、ともに励ましを受け合っていく場である。
人は弱い。信仰の強者パウロであっても、「ともに励ましを受けたい」と言っている。
神だけではなく、人からの励ましもがないと、立ち行かなくなるものである。
互いに励まし合って、キリストの律法(心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして主を愛し、また隣人をあなた自身のように愛する。)を全うしていくのである。
そこに、神のみわざが現れる。
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人を自分よりもすぐれた者と思うなら(ピリピ2:3)、人の良いところを見出し、心からほめることが自然にできる。
神は必ず、それぞれの内に、良いものを与えてくださっている。
その部分を見て、互いに励まし合っていくなら、教会という所は、何とうるわしい場所であろうか。
まず、自分から実践していこう。
キリストの名の置かれている教会に、神の栄光が豊かにあふれるように。

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2009年2月 3日 (火)

キリストに信頼する者は、失望させられることがない。

「聖書はこう言っています。『彼に信頼する者は、失望させられることがない。』」(ローマ 10:11)

すべて失望に終わったとしても、主に希望がある。
人間的な思いや計画、望みを超えて、すべてを巻き込み益として下さる主がともにいて下さる。
すべてに失望したとき、人間的な思い、自我を取り扱われ、主への希望だけが残る。
その時、ああ…、主はこのことを教えて下さろうと、私を取り扱って下さったんだなぁ…と悟る。
私への主のすばらしい愛、主がともにいて下さるから、すべてをゆだねて、また一歩進もう。

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すべて失望に終わった時、見えてくる道がある。
残された道は見栄えもなく、ひっそりと延びている道。いろいろな選択肢があった時には、決して選ばなかっただろう道。
今、あなたは何かに失望していないか。そのときこそ、「失望に終わることのない」主に信頼をおこう。
主を信頼し、主の前に静まろう。あなたにも主が招いておられる道が見えてくる……。

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