16 ネヘミヤ記

2013年8月 4日 (日)

赦しの神

「彼らは聞き従うことを拒み、…ひとりのかしらを立ててエジプトでの奴隷の身に戻ろうとしました。それにもかかわらず、あなたは赦しの神であり、情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かであられるので、彼らをお捨てになりませんでした。」(ネヘミヤ 6:8)

 

神によって、エジプトでの奴隷生活から贖い出され、主のみわざを間近で見てきた神の民であったが、自分の思い通りにならない荒野の生活に嫌気がさし、モーセを通じての神の言葉を待たずして、自ら徒党を組んでエジプトに戻ろうとした。
それだけではなく、自分たちのために目に見える神を求め、金の子牛を造り、これが神だと言って、祭りを開いたこともあった。
民は荒野の道中でつぶやき続けるにもかかわらず、主は忍耐と愛をもって、必要を満たし、民を導いてくださったのである。
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主は赦しの神である。自らの罪を考えた時、そのことがよく理解できる。
自分がどれだけ多く許されてきたことか、罪を見過ごされてきたことか。
そのことを知ると、感謝以外の言葉が見つからない。
今日も、一つ一つを思い起こし、感謝に満たされよう。
神に思いをはせる時、心をふさいでいた問題が何と小さいものであるかを知るだろう。
神がともにいて下さる!

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2013年8月 3日 (土)

恐れるべきお方は神だけ

「そこで、私は彼のところに人をやって言わせた。『あなたが言っているようなことはされていない。あなたはそのことを自分でかってに考え出したのだ。』と。」(ネヘミヤ 6:8)

 

城壁がないままとなっていた神殿に、城壁を造らなければと、ネヘミヤは立ち上がり、城壁建設に取り掛かった。
神殿建築と同様、敵の妨害にあい、更に一致を乱す内部の問題が起こったが、城壁は完成し間際となり、あとは門のとびらを取り付けるだけとなった。
が、敵はあきらめず、陰険な策略をもってネヘミヤの気力を失わせようと何度も執拗にやって来た。
5度も使者を遣わし、反逆をたくらんでいるため城壁を建築しているのだと事実無根のうわさをばらまき、それでだめなら、預言者を使って罪に陥れるためのわなをしかけた。
しかし、ネヘミヤが神だけを恐れ、他の何ものをも恐れない態度を崩さなかったため、敵は何もできず、遂に、城壁は完成し、神の栄光となったのであった。
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神のみこころの中を歩んでいる時に、思いがけない妨害がやってくる。
振り払っても振り払っても執拗なまでにやってくるかもしれない。
そこで大事なことは、恐れるべきお方は神だけだということを忘れないことだ。
人を恐れるとわなにかかる。
恐れがやって来た時は、しっかりと神を見上げ、思い煩いを御前に言い表していこう。
乗り切る力は神から来る。
私たちを愛し十字架にかかってくださり、ありのままの力で従いなさいと言われた主がともにいる!

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