11 列王記 第一

2011年12月14日 (水)

預言

「 彼は答えました。『私が出て行き、彼のすべての預言者の口で偽りを言う霊となります。』すると、『あなたはきっと惑わすことができよう。出て行って、そのとおりにせよ。』と仰せられました。」(Ⅰ列王記 22:22)

 

イスラエルの王アハブがラモテ・ギルアデに戦いを挑もうと、ユダの王ヨシャパテに応援を頼んだ。ヨシャパテは、まず、預言者にみこころを聞くことを願った。アハブは、四百人もの預言者を呼び寄せた。預言者たちは、口をそろえて、「戦いに行け。勝利する。」と述べた。ヨシャパテが、「他に主のみこころを求めることのできる預言者はいないのか」と聞くと、アハブは、「もう一人、ミカヤという、私については良いことは預言せず、悪い預言ばかりする預言者がいる」と答えた。ミカヤは、「アハブを倒すために、預言者たちは惑わされているのだ。」と語ったのであった。

 

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主のことばを退け続けているアハブに、預言者たちは真実を語らなかった。よい預言ばかりを求めていては、主の真実が見えなくなる。預言は100%真実であるとは限らない。主ご自身を愛し、へりくだった心で主の喜ばれることをしよう。主のみこころが見えてくる。

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2011年12月12日 (月)

支えとなる祈り

「七度目に彼は、「あれ。人の手のひらほどの小さな雲が海から上っています。」と言った。それでエリヤは言った。「上って行って、アハブに言いなさい。『大雨に閉じ込められないうちに、車を整えて下って行きなさい。』」」(Ⅰ列王記 18:44)

 

カルメル山でのバアルの預言者たちとの戦いで、民の面前で、主とバアルの違いを明らかにし、バアルの預言者たちを一掃した後、エリヤは、アハブに「上って行って飲み食いしなさい。激しい大雨の音がするから。」と言った。エリヤは、先ほどの戦いの祭壇の場のカルメル山に登り、地にひざまずいて祈った。それから若者に海が見えるところに上って行かせた。「何も見えません。」と報告する若者に、7度繰り返させ、7度目に手のひらほどの小さな雲が海から上っているのが見えた。小さな雲だったが、やがてエリヤが言ったとおり、激しい大雨となったのである。

 

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エリヤは「アハブに会いに行け。わたしはこの地に雨を降らせよう。」という主のことばによって、アハブのもとに遣わされたが、雨が降る気配は全くなく、晴れ渡った空には、小さな雲ひとつない状態だった。そのような中、エリヤは、アハブに大雨を宣言し、「雲ひとつ見えない」と報告する若者が行き来する間も、揺るがなかった。エリヤには、主の言われたことは、絶対であると信じていた。王に殺されそうな目に合いながらも、主を信じることができたのは、祈りの中、主の真実をいつも体験させていただいていたからである。弱さを覚えた時、どこにいても、必ず主が励ましを与えてくれた。時にはからすを、また別の時は天使を遣わして…。私たちもエリヤのように、へりくだり、ひざまずいて祈ってみよう。主のなさろうとすることが見えてくる。

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2011年12月11日 (日)

祈りの効用

「主はエリヤの願いを聞かれたので、子どものいのちはその子のうちに返り、その子は生き返った。」(Ⅰ列王記 17:22)

 

主は、貧しさのあまり死のうとしているひとりのやもめを用いて、エリヤを養われた。ある日、このやもめのひとり息子が病気になり、息を引き取ってしまった。「神の人よ。あなたは私の罪を思い知らせ、私の息子を死なせるために来られたのですか。」と言うやもめから、エリヤは息子を受け取り、部屋にこもって祈った。「主よ。私を世話してくれたこのやもめにさえもわざわいを下して、彼女の息子を死なせるのですか。どうか、この子のいのちをこの子のうちに返して下さい。」と。三度祈ったとき、主はエリヤの願いに答えられた。

 

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エリヤが祈らなかったら、この息子は生き返ることはなかった。やもめは自分の罪を自覚していた。かけがえのない息子が死んだ時、神の人エリヤに悲しみをぶつけた。エリヤには、「神は死人をも生き返らせることができる」という信仰があった。エリヤが祈った時、息子は生き返り、やもめは主のことばの真実を知った。祈ることなしには、何も起こらない。信仰によって祈ることが、祝福を受ける道である。主に祈っていこう。

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2011年12月 9日 (金)

計り知れない神のみわざ

「『主はこう仰せられる。上って行ってはならない。あなたがたの兄弟であるイスラエル人と戦ってはならない。おのおの自分の家に帰れ。わたしがこうなるようにしむけたのだから。』そこで、彼らは主のことばに聞き従い、主のことばのとおりに帰って行った。」(Ⅰ列王記 12:24)

 

ソロモン亡き後、息子レハブアムが王になったが、ユダ部族以外の全イスラエルは、ヤロブアムについた。レハブアムは、王位を取り戻すために、イスラエルと戦おうとした。その時、神は、「あなたがたの兄弟であるイスラエルと戦ってはならない。わたしがこうなるようにしむけたのだから」とおっしゃられた。分裂を起こされたのは、神であった。アモン人を母に持つレハブアムは、高き所や石の柱やアシェラ像を立て、主に罪を犯した。そのような民をもはや一つにはしておけず、主は、民を散らしてでも、信仰を継承していく道を計画されていたのである。
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理解できないような悪いことの中にも、主の良き計画がある。そしてそれは、罪人である私たちの幸せのための計画である。どのような中にあったとしても、悔い改めるべきことを悔い改めたなら、主に信頼して、主にすがって行こう。どのような中にも、主の守りがある。

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2011年12月 8日 (木)

神に従って行こう。

「ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々のほうへ向けたので、彼の心は、父ダビデの心とは違って、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。」(Ⅰ列王記 11:4)

 

ソロモンに与えられた海辺の砂浜のように広い心は、御霊の実の一つである寛容とは違う方面にも向いて行った。ソロモンはエジプトのパロの娘だけではなく、多くの外国の女(七百人の王妃と三百人のそばめ)を愛して、主が注意を与えられても、離れなかった。この妻たちが、ソロモンの晩年に、彼の心を主から離し、彼女らの持ち込んだ多くの神々に向けた。そのため、神は、ソロモンに敵対する者を起こされ、イスラエルの王国を分裂に向かわせられた。しかし、ダビデと神がお選びになったエルサレムのために、ソロモンの子にも一つの部族を残されたのであった。

 

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誰にも、与えられたよいものがある。神に向かえば、それはすばらしい品性となって、輝きを放つ。しかし、肉の欲のままにふるまっていけば、それは人徳どころか、あざけりの対象となっていく。神が私たちに与えられている注意は、私たちの幸せのためのものである。神の愛を軽んじることなく、従って行こう。

 

 

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2011年12月 7日 (水)

広い心で祈ろう

「あなたご自身が、あなたの御住まいの所である天でこれを聞き、その外国人があなたに向かって願うことをすべてかなえてください。そうすれば、この地のすべての民が御名を知り、あなたの民イスラエルと同じように、あなたを恐れるようになり、私の建てたこの宮では、御名が呼び求められなくてはならないことを知るようになるでしょう。」(Ⅰ列王記 8:43)

 

ソロモンは海辺の砂浜のように広い心が与えられていた。宮が完成し、ソロモンは祈った。イスラエルの民が、悩みの中、この宮に向かって両手を差し伸べて祈るとき、どのような祈り、願いも、赦し、またかなえて下さい、と。遠方から神の民ではない外国人が宮に来て祈るときも、主を知るために、その願うことをすべて答えて下さい、と。

 

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私たちも祈ろう。主の宮で祈られる祈りがすべて答えられるようにと。そこから主への恐れが起こり、主の御名があがめられ、主の栄光があふれるように。主イエスの御名が置かれているすべての教会の上に、主の栄光が現れますように。

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2011年12月 6日 (火)

関係を祝福される神

「さて、ツロの王ヒラムは、ソロモンが油をそそがれ、彼の父に代わって王となったことを聞いて、自分の家来たちをソロモンのところへ遣わした。ヒラムはダビデといつも友情を保っていたからである。」(Ⅰ列王 5:1)

 

ツロは、大きな港を持ち、交易が盛んな町であった。そのツロの王ヒラムは、ダビデと友好関係にあり、ダビデが王となった時には、ダビデのために王宮を建てさせていた。ダビデの後継にその息子ソロモンが油注がれ着任したことを聞き、家来たちを遣わしてお祝いを述べた。主の宮を建てるためには、多くの丈夫な木材が必要であった。ソロモンは、レバノンの杉を切り出す許しを願い、王ヒラムは、その願いを聞き届けた。

 

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主なる神は、住むための宮を必要とされはしないのだが、主の栄光と私たち人間のために、宮を作るのを良しとされた。主の栄光を現すための宮であるから、粗末なものではなく、主の栄光が現れるものであることが大切であった。レバノン杉や多くの人夫が備えられていたことも、神殿建築のためのよい時であった。主は、私たちの関係を祝福してくださるお方だ。他宗教、他民族であったとしても、友好を保とうとする者を、主は祝福される。私たちは、その友情を証しの中、主の栄光へと、育てていこう。

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2011年12月 4日 (日)

祝福への道

「一方、ハギテの子アドニヤは、「私が王になろう。」と言って、野心をいだき、戦車、騎兵、それに、自分の前を走る者五十人を手に入れた。」(Ⅰ列王記 1:5)

 

ダビデが老人になったとき、息子アドニヤは、野心をもって、力でもって王になろうとした。ナタンの預言では、ソロモンがダビデの後継者になると言われていた。アドニヤは、そのことを知っていたので、ナタンやソロモンやダビデの勇士たちを招かずに、王になろうとした。そのことを知ったナタンは、ソロモンの母バテ・シェバに助言を与え、ダビデのところへ行かせて、祭司を呼び寄せ、ソロモンを王とする油注ぎを行い、ソロモンが王となった。

 

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ダビデには多くの妻たちがいたため、息子たちの争いが絶えなかった。信仰者ダビデの息子はすべて信仰者に育ったわけではなかった。腹違いの妹に恋をしたアムノンは、欲望によって行動したゆえに、腹違いの兄弟アブシャロムに殺害された。妹のための復讐の殺人を遂げたアブシャロムは、父の愛を疑い、謀反による戦いで死んだ。今回は、預言を無視し、自ら王になろうとしたアドニヤが、あきらめきれない野望のため、父ダビデのそばめを妻に求めて、死罪となる。罪は、さまざまな弊害をもたらす。自分を苦しめ、他人をも苦しめる。しかし、神の愛は、そのような罪から信じる者を救い、祝福へと変えるものだ。信仰によって、王となったソロモンは、多くの祝福を受けることとなる。神を信じ、罪から離れよう。

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