01 創世記

2021年1月 5日 (火)

信仰の父アブラムの無理のない信仰

「あなたは私にいったい何ということをしたのか。なぜ彼女が、あなたの妻であることを、告げなかったのか」(創世記12:18)

カナンの地に入ったアブラムは、激しいききんに会い、そのききんを避けるために、エジプトに下った。
「あなたの子孫に、この地を与える」と言われた神を信じていたが、ききんを前に委ねて行動した。
その頃のエジプト人の行動を聞き及んでいただろうアブラムは、エジプト人は美しいサライを見て、自分の妻だと知ると、自分を殺すだろうと恐れた。
それで、サライに、自分の妹だと言うようにと、人間的な知恵を使った。
そうすれば自分は生き延びられると思ってのことだった。
幼い信仰の時のアブラムの姿だ。無理なく自然に神に従っている。

結果、サライはパロの宮廷に召し入れられた。サライが気にならなかったわけではないだろうが、他に方法がないように思っていた。
パロは、サライのゆえにアブラムを特別待遇とし、沢山の羊、牛、ろば、奴隷、らくだを与えた。
サライが妻だということは隠していてもいつかわかる時がくるかもしれないことである。
主は、アブラムを守るため、パロとその家をひどい災害に遭わせられた。

この神の介入によって、パロも真実を知り、アブラムを妻サライとすべての所有物とともに送り出したのであった。
アブラムは、ききんのためにエジプトに下ったことにより、かえって祝福を受け、非常に富み、カナンに戻ったのであった。

信仰の父アブラハムの初期の頃である。特別なことはしていない。
ただ、主を信じ、主に委ねて行動している。
エジプトに下る前と後に、アブラムは信仰により祭壇を築き礼拝をもしている。

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信仰は、特別なことを要求されるわけではない。
ただ、いつも主を信じ、自分を偽らず、自然体で主に向かうことである。
サライを妹だと言ったことを嘘だ、罪だとするなら、それを全くとがめず、かえってパロを痛めつけられた理由がたたず、聖書の恵みがわからなくなり、律法的な宗教の世界に陥る。
神は幼い信仰や人間の弱さを知っておられ、配慮されるお方である。
もちろん、人を欺き、傷つけるための偽り、偽証などは、十戒でも禁じられている立派な罪であるが、主は心を見られる。
無理せずに、主に聞き従おう。
信仰を育ててくださるのは神だ。信仰の父と呼ばれるアブラムの信仰に学び、ありのまま主に従おう。
わざわいのような時にも、主が豊かに祝福してくださる。

 

 

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2011年10月14日 (金)

宝の民

「きょう、主は、こう明言された。あなたに約束したとおり、あなたは主の宝の民であり、あなたが主のすべての命令を守るなら、主は、賛美と名声と栄光とを与えて、あなたを主が造られたすべての国々の上に高くあげる。そして、約束のとおり、あなたは、あなたの神、主の聖なる民となる。」(申命記 26:18,19)

 

主なる神は、民と契約をされた。主が命じた教えに従うことの祝福と、従わないときののろいを。民は祝福とのろいのためにゲリジム山とエバル山に立ち、主の命令を復唱し、アーメンと誓いを立てた。主が契約されたのは、どうでもよい民にではない。主の宝の民に対してである。その宝の民が宝にふさわしい歩みをするようにと与えられたのが律法である。そして律法に従う道を歩むならば、賛美と名声と栄光、誉れが与えられ主の聖なる民となると祝福が約束された。逆に従わない道をとるならば、まさに天と地の差と言えるようなのろいが降りかかることも同時に忠告されたのであった。

 

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主イエスが来られ、律法は成就された。「天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。」(マタイ 5:18)とイエスは言われた。主は、「~しなけらばならない」という戒めの律法に起因する敵意を廃棄し、律法の本来の目的を成就するために来られたのである。神の聖さにあずかる聖なる民となるために、その愛をあますところなく、与えられたのである。肉において弱さを持つ私たちのために、聖霊をも遣わしてくださった。そうして、聖霊に委ね歩むことによって、私たちは日々整えられて、主の似姿に変えられていくのである。何という光栄であろうか。この愛に感謝しつつ委ねて行こう。

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2009年11月 2日 (月)

主が変えてくださる!

「それで、カインは、主の前から去って、エデンの東、ノデの地に住みついた。」(創世記 4:16)

 

神はアダムとエバの息子であるカインとアベル双方に心を配っておられた。
ある日、二人が捧げ物を持ってきて捧げた。
神はアベルの捧げ物を喜ばれ、カインの捧げ物を退けられた。捧げる心をご覧になったのである。
カインとて天地の産物を与えて下さった神に感謝して捧げたなら、神は喜んで受け入れて下さったのである。
しかし、カインは、主の声を無視し、自分の心を省みることなく、弟をねたみ、殺害してしまった。
そのようなカインをも、神は愛し、罪の自覚を促された。
それでも、カインは主が憐れみを示されたにもかかわらず、主の前から立ち去ったのだった。

 

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今、主があなたに語ってくださっていることはないだろうか?
主が語られた時は、素直に受け止め、主に寄りすがって歩んでいこう。
それが祝福の道である。
それがどんなに痛い言葉であっても、主が変えてくださる。

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