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2013年5月16日 (木)

主は罪人を見捨てられない。

「しかし、悩みを身に受けたとき、彼はその神、主に嘆願し、その父祖の神の前に大いにへりくだって、神に祈ったので、神は彼の願いを聞き入れ、その切なる求めを聞いて、彼をエルサレムの彼の王国に戻された。こうして、マナセは、主こそ神であることを知った。」(Ⅱ歴代誌 33:12,13)

 

ヒゼキヤの息子マナセは、父の信仰に倣わず、異邦の民のならわしをまねて、父ヒゼキヤが取り壊した高き所を再築し、異邦の神々を拝み、これらに仕えた。
そして、主の宮の庭にまで、偶像の祭壇を持ち込んだ。
そればかりか、自分の子供たちに火の中をくぐらせるという異教の悪習慣を実行し、卜占やまじない、呪術に霊媒、口寄せといったオカルトにまではまり込み、主の怒りを引き起こしたのである。
そのようなマナセに、主は預言者を遣わして警告を与えられたのだが、マナセは聞こうとしなかった。
そのため、マナセはアッシリヤによって鉤で捕えられ、青銅の足かせにつながれ、バビロンに引いて行かれた。
この苦しみの中で、マナセはへりくだって祈った。主はマナセを解放し、マナセは主に立ち返った。
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主を捨て去って、どんな罪にまみれてしまったとしても、主はご自身の民を決して見捨てられはしない。
絶えず、主に立ち返るよう、手を差しのべておられる。
罪の中、苦しみを通るかもしれない。
「ごめんなさい。」と御前にへりくだる心が大切である。
御前にへりくだった時、主の大きな愛を知る。
その愛によって、私たちは、罪から離れることができるのである。
神の民であることは、何と幸いなことだろうか。

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