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2013年3月 1日 (金)

「キリシタン殉教の道を辿る」(田中菊太郎著 マルコーシュ・パブリケーション出版)

Kirisiten 長崎だけではなく、全国を自らの足で巡って、まとめられた当時の信仰の証しの本である。
徳川の時代に、いかに純粋かつ神への愛と兄弟愛をつらぬく信仰を持っていた信仰者たちがいたのかが、描かれている。

この本を読むと、いかに正しい信仰かではなく、愛が大切だということがよくわかる。

静岡のキリシタンである岡本大八が家康の朱印状を偽装して信仰の兄弟である有馬晴信を欺くという罪を犯したことを契機に、キリシタンへの憎悪と迫害が始まったということを知り、衿を正された。

「江戸からは多くの家臣や侍女たちも連れてきましたが、その中には何人かのキリシタンもいました。慶長16年(1611年)には駿府城下に教会も修道院もでき、270人の洗礼もうける人も出ました。ところが慶長17年(1612年)旗本の岡本大八というキリシタンが贈賄事件を起こしました。
日本で一番初めにキリシタン大名になった、有馬晴信と長崎奉行長谷川藤広は、資金を出し合って貿易のためにマカヲに商船をだしていました。その船員を殺したポルトガル人が、マードレ・デ・デウス号で長崎に来ましたので、慶長14年(1609年)12月、有馬晴信はデウス号を攻撃し、沈めてしまいました。デウス号撃沈の戦功で幕府から恩賞が貰えると思った有馬晴信は、家康の側近の本田正純の家来で、キリシタンである岡本平八にその斡旋方を頼みました。数回にわたり6千両もの大金を受け取ってしまったので、引っ込みが付かなくなった岡本平八は、家康の朱印状まで偽造して有馬晴信に渡して、その場を繕っていました。
なかなか恩賞の沙汰が有りませんので、晴信は本田正純に直接問い合わせましたので、朱印状は偽造と発覚、事が家康の朱印状の偽造ですから、家康に報告せねばならず、家康は2人ともキリシタンなのに、こんな卑劣なことをするとは何事かと怒り、晴信は切腹、大八は火炙りの刑を命じたのです。…これは決して殉教ではありません。…それまで家康はキリシタンに対しては、新式の武器を手に入れる橋渡しのためにも、宣教師を無視できませんので、比較的寛容な態度を持っていましたが、これを契機にキリシタンへの憎悪が燃え上がり、先ず自分直属の家臣から宗門(信仰)改めを行い、その結果14人の直属の家臣をキリシタン故に追報処分にしました。」(p222-224)

殉教という暗い内容を詳しく知りたいという人はあまりいないだろうが、現在忘れかけられている見倣うべき信仰者の姿がこの本の中に描かれていた。

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