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2012年11月

2012年11月26日 (月)

教会は励ましの場

「というよりも、あなたがたの間にいて、あなたがたと私との互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。」(ローマ 1:12)

「信仰を持っていたら、教会に行かなくても大丈夫。教会は疲れるし、組織化すると、つまずくことも多いし…。」という考えを時々、聞く。
教会とは何か。教えを聞いたり、賛美を歌ったり、祈ったりするだけのところではない。
それが目的であったなら、自分で学び、歌い、祈れば、事足りる。
教会とは、同じ信仰を持つ者同士が集い、ともに信仰を高め合う場でもある。
互いの信仰によって、ともに励ましを受け合っていく場である。
人は弱い。信仰の強者パウロであっても、「ともに励ましを受けたい」と言っている。
神だけではなく、人からの励ましもがないと、立ち行かなくなるものである。
互いに励まし合って、キリストの律法(心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして主を愛し、また隣人をあなた自身のように愛する。)を全うしていくのである。
そこに、神のみわざが現れる。
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人を自分よりもすぐれた者と思うなら(ピリピ2:3)、人の良いところを見出し、心からほめることが自然にできる。
神は必ず、それぞれの内に、良いものを与えてくださっている。
その部分を見て、互いに励まし合っていくなら、教会という所は、何とうるわしい場所であろうか。
まず、自分から実践していこう。
キリストの名の置かれている教会に、神の栄光が豊かにあふれるように。

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2012年11月23日 (金)

どんなときも、主に向かおう。

「この戦いではあなたがたが戦うのではない。しっかり立って動かずにいよ。
あなたがたとともにいる主の救いを見よ。ユダおよびエルサレムよ。
恐れてはならない。気落ちしてはならない。あす、彼らに向かって出陣せよ。
主はあなたがたとともにいる。」(Ⅱ歴代誌 20:17)

 

ヨシャパテは攻めに来たおびただしい大軍を前に、主に向かって言った。
「あなたは彼らをさばいてくださらないのですか。私たちには力がありません。」と。
女性たちも子供たちも、ユダの全集団が主の前に立っていた。
その時、主は冒頭のように言われたのであった。「この戦いは神の戦いである。…」と。
サタンは、神を信じる者たちに疑いをしかけてくる。
「何か間違っているのだよ。」「主にあれば、こんなことが起こるはずないだろう。」
「神を信じるなら、自分で立ち向かっていくべきだよ。」etc.
そうやって、私たちの信仰をゆるがせ、平安を失わせ、主の栄光を失わせようとする。
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主は救いの神である。
私たちに必要なことは、動じずに信仰にしっかり立つことだ。
何が起こっても、恐れず、気落ちせず、しっかりと神を見上げることだ。
神は、獅子が我が子を千尋の谷に落として強くするように、試練を通して、ご自身の子の信仰を強め、人格を練られ、ご自身に近づけて下さる。
そこには、必ず神の愛が存在する。放置されているわけではない。愛の御手がともにある。
ヨシャパテがしたように、疑い・迷いは祈りに向け、しっかり立って歩んでいこう。

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2012年11月20日 (火)

人間関係の基本

「悪者を助けるべきでしょうか。あなたは主を憎む者たちを愛してよいのでしょうか。これによって、あなたの上に、主の前から怒りが下ります。」(Ⅱ歴代誌 19:2)

 

アサ王の息子、ヨシャパテは、主とともに歩んだ王であり、主に従っていたゆえに、王国は確立され、富と誉れを受けた。
が、ただ一つ、イスラエルの悪王アハブと縁を結んだことが、汚点となった。
アハブと縁を結ぶことが、国際的な力となると判断してのことだったのかもしれないが、このことは、主のみこころに反することであった。
この同盟によって、ヨシャパテはアハブと一緒に戦いに行くことになり、アハブの代わりに殺されそうな目に遭ったが、主のあわれみにより、助けられたのであった。
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「朱に交われば赤くなる」と諺にもあるが、「友だちが悪ければ、良い習慣がそこなわれます。」(Ⅰコリント 15:33)と聖書は言っている。
互いの関係が、主に喜ばれる関係となるよう、まず、主の前に静まってみよう。
みことばは何と言っているか。その関係が肉を喜ばせたとしても、主に反しているならば、見直す必要がある。
まず、主との関係をゆるぎないものとしよう。
人間関係は、そこから始まる。

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2012年11月19日 (月)

勝利の主

「主よ。力の強い者を助けるのも、力のない者を助けるのも、あなたにあっては変わりはありません。私たちの神、主よ。私たちを助けてください。私たちはあなたに拠り頼み、御名によってこの大軍に当たります。主よ。あなたは私たちの神です。人間にすぎない者に、あなたに並ぶようなことはできないようにしてください。」(Ⅱ歴代誌 14:11)

 

時代はソロモンのひ孫、アサの時代であった。
クシュ人の大軍が攻めてきた。その数、100万人の軍勢が100台の戦車を率いてきたのであった。
対するアサの軍隊は、盾と槍を帯びた軍勢が30万人と弓を引く者が28万人であった。
勇士だと言っても、軍事力が明らかに劣っていた。
しかし、アサには万軍の主がついていた。
アサの祈りが聞かれ、敵は主の前に打ち破られたのであった。
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この世の中に、どんなに恐れるようなことがあったとしても、私たちの神の手に負えない事柄はない。
その世に存在するものは、すべて神による被造物だからである。
全知全能の神の手に委ねよう。
100万の敵に、たった少人数で立ち向かったとしても、みこころを歩むなら、主は必ず私たちの手に勝利を与えられる。
心を尽くして、知力を尽くして、主を慕い求め、みこころに従って歩んで行こう。
勝利の主がともにおられる!!

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2012年11月17日 (土)

知恵を求めよう。

「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。」(ヤコブ 1:5)

神よりも知恵があるという人はいるだろうか。
いないのだが、「じゃあ、あなたは知恵がないのか?」と問われると、「私はそんなにバカではない。そこそこ人並にはあると思う。」と答えるかもしれない。
完全なる知恵を持っている人間など、いはしない。
これは、すべての人間への勧めである。
しかし、「私は知恵の欠けた者である。」と認めないと、「あなたがたの中にいるなら」とあるので、人ごとに思えるみことばである。
知恵は、まず、自分にかけていることを認め、神に求めることから始まる。
へりくだりが必要な要素である。
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歴史に類を見ないソロモンの知恵は、神から賜ったものであった。
神は、私たちをも神の知恵で満たして下さる。
それは神の栄光が現われるためである。
惜しげもなく、誰にでも、とがめなく与えて下さる神に、願おう。
私たちを通して、神が栄光を受けられますように。

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2012年11月15日 (木)

仕える態度

「シェバの女王は、ソロモンの知恵と、彼が建てた宮殿と、その食卓の料理、列席の家来たち従者たちが仕えている態度とその服装、彼の献酌官たちとその服装、主の宮に上る階段を見て、息も止まるばかりであった。」(Ⅱ歴代誌 9:3,4)

 

神が与えて下さったソロモンの知識と知恵、それは大いに国を富ませた。
民は王を心から尊敬し、家来たちも誇りをもって王に仕えた。
ソロモンの名声は、諸外国に広まっていき、うわさを聞きつけたシェバの女王が、ソロモンを試そうとして難問をもってやって来た。
しかし、ソロモンに解き明かせないものは何もなかった。
シェバの女王は、こう言っている。
「なんとしあわせなことでしょう。あなたにつく人たちは。なんとしあわせなことでしょう。
いつもあなたの前に立って、あなたの知恵を聞くことのできるこの、あなたの家来たちは。」(Ⅱ歴代誌 9:7)
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主のしもべである私たち。
シェバの女王が意気も止まるばかりに驚いたソロモンの知恵や権威や富や栄光以上のものを、私たちの主は持っておられる。
私たちが仕える姿を見て、他の人たちはどう言うだろうか。
私たちの主に仕える態度を見て、他の人たちは、息も止まるばかりの驚きを示すだろうか。
今、主への私たちの態度を見直してみよう。
主は、私たちの王である!!

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2012年11月14日 (水)

心を見られるお方

「あなたご自身が、あなたの御住まいの所である天から聞いて、赦し、ひとりひとりに、そのすべての生き方にしたがって報いてください。あなたはその心を知っておられます。あなただけが人の子らの心を知っておられるからです。」(Ⅱ歴代誌 6:30)

 

人は、人を上辺で、見える所で、判断してしまう。しかも、自分の価値観や主観が作用する。
しかし、主は、その性質(神は愛)をもって、人をご覧になられる。
行為の奥底にある心を見抜かれる。
聖書の中に矛盾のように見える記事があるのは、そのためである。
同じことを行っていても、その行為の元となっている心は何かを主はご覧になられる。
律法では、計れない主の思い…。
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主だけが人の心を知っておられる。
罪から這い上がれない自分がいるなら、主にすがろう。
罪を犯さざるを得なくなったあなたの状況を、主はご存知である。
主はすべてをご存知である。
全知全能万軍の主、そこから逃れる力を、主はお持ちである。主にすがろう。
主は赦しの神でもある。一つ一つを主の前に、おいて行こう。
その時、悔い改めの力が臨む。

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2012年11月13日 (火)

恵みは低いところへ下る!!

「ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。」(Ⅰペテロ 5:6)

ある姉妹が、職場の年下の女性との関係に悩んでいた。
自分に対し、乱暴な口調で指図する態度が、時に苦痛に感じられた。
穏和にやり過ごしても、同僚の横柄な態度は、周囲に心配されるほどになっていった。
言葉で、治めようと努力すれば努力するほど、絡み合ってしまうのだった。
ある日、「あなたは、手に負えない人間の心を自分のほうへ向けようと、必死で努力している。自分はこのままでOKなのだというところに立って歩んでいる人は、他の意見を決して取り入れようとはしない。その努力を祈りにせよ。その人たちの状態をご存知なのは、主なる神であり、主は、その人の一生を取り扱っておられる。主の手に委ねなさい。」と心に語る声がした。
主の愛を示すためと言い聞かせながら、実は、自分が愛されたかったのだということを認めた時、心が楽になった。
その言葉で、主の自分への愛を知った彼女は、同僚の態度も気にならなくなっていった。
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他人を高慢だと思うのも、また高慢である。その状態は、自分は他人の高慢の上にいることになる。
人は上辺だけでは、本当の姿はわからない。主だけがご存知である。
本当の謙遜とは、人を自分の思いで変えようとせず、すぐれている部分を見つめ、神に委ねることである。
ありのままの自分自身を受け入れ、明日も、主に委ねて歩んでいこう。
恵みは、低いところに下る!!

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2012年11月12日 (月)

欲を捨てよう。

「今、知恵と知識を私に下さい。そうすれば、私はこの民の前に出はいりいたします。さもなければ、だれに、この大いなる、あなたの民をさばくことができましょうか。」(Ⅱ歴代1:10)

 

ダビデの息子ソロモンは、自分が王となったのは、ただ神の恵みのゆえであることを知っていた。
そして、頼りにならない人の心を知っていた。
ソロモンの心を占めていたのは、権力でもなく、富でもなく、神の栄光であった。
神の民を、それにふさわしく、さばき治めることであった。
だから、神に「何を何を与えようか。願え。」と言われた時、即座に、神の知恵と知識を求めたのであった。
欲を出して「あれにしようか、これにしようか。」と考えることもなく、「よく考えますから、一晩待ってください。」とも言わず、即答であった。
そのような心を主は喜ばれ、知恵と知識はもちろんのこと、それ以前の王たちにも、後の王たちにもないほどの富と財宝と誉れをも、ソロモンに与えられたのである。
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神に喜ばれるとは、何という祝福だろうか。
自我を神に明け渡し、神のみこころに従って行こう。
主があなたを祝福してくださる。

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2012年11月 3日 (土)

信仰は賜物

「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。」(エペソ 2:8)

世の中には、さまざまな宗教がある。
神を求める心は、万国共通に見られるものであるが、何を神とするかは、多種多様、さまざまである。
ある宗教は、「私が神だ。」または「私が神に選ばれた者だ。」といい、ある宗教は、「これに神が宿っているからこれを拝め。」という。
そして、私はこの宗教をしよう、と決め、神に認めてもらうために、行ないに励み、頑張る。
また、神に近づこうと修業する。どこまでも、自分が中心である。
しかし、聖書には、神を信じる信仰は恵みであり、神からの賜物である、という。
聖書に見られる信仰は、どこを開いても神が中心である。
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不完全で罪に満ちた私達ではなく、義と愛に満ちた完全であられる神が中心であるということは、何と平安なことであろう。
この与えられた信仰に感謝しつつ、みことばに心をとめ、歩んでいこう。
神が私たちを整え、導いて下さる。その王道を恐れずに、しっかりとみことばに立って歩んでいこう。

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