« 2012年9月 | トップページ | 2012年11月 »

2012年10月

2012年10月13日 (土)

なすべきことをしただけです。

「あなたがたもそのとおりです。自分に言いつけられたことをみな、してしまったら、『私たちは役に立たないしもべです。なすべきことをしただけです。』と言いなさい。」(ルカ17:10)

 

人のために尽くしているにもかかわらず、うまくいかないと感じている人がいた。
みこころを行なったにもかかわらず、うまくいかないのは、相手に原因があると思っていた。
そういうことを繰り返すうちに、何もする気持ちがなくなっていった。
無力感に襲われ、主の前に静まった時、相手に対して不満を抱えている自分の姿が見えた。
人のせいにして歩めば楽である。
自分を見つめなくてすむからだ。
しかしそこには成長がない。
---------------
誰が見てくれなくても、人は受け取ってくれなかったとしても、あなたの善行・動機は、主が知って下さっている。
主に伺いつつ、みこころの中を歩んで行こう。
時が来て、豊かな実がなっていく。

| | コメント (0)

2012年10月10日 (水)

主を求めよ。お会いできる間に。

「人の子よ。ツロの君主に言え。神である主はこう仰せられる。あなたは心高ぶり、『私は神だ。海の真中で神の座に着いている。』と言った。あなたは自分の心を神のようにみなしたが、あなたは人であって、神ではない。」(エゼキエル28:2)

 

ツロの都市は、港町であり、貿易が盛んなため、繁栄していた。
豊かだったが、心は貧しかった。
金儲けの知恵があり、多くの富を得ていたが、それゆえに心は高ぶり、栄光は自分にあった。
すべて、自分の力でなし得たことだと思っていたからであった。
そのため、君主は弱者を顧みることなく、自ら神のようにふるまって、国は暴虐に満ちていた。
そのようなツロに、神は、最も横暴で神を知らない他国人を使って、さばきの御手を伸ばされた。
それは、神を思い起こし、罪から離れる機会を与えようとの、神の愛から出たものであり、そうするしかない末期的な状態であったのである。
-----------------
神は愛である。愛であるゆえに、正義である。
罪は人を傷つけ、自分をも傷つける。
かつて、サタンは「神のようになろう。」と自らを神のように置いた高慢ゆえに、落ちた。
被造物に過ぎない私たち、空気も土も水も、世界に存在するものすべて、細胞の一つ一つも、神が造られなければ、存在すらしていなかった。
私たちが、知恵をしぼって何かを作り出したとしても、全知全能の神の足元にも及ばないのである。
「私は罪人であり、イエスの十字架の赦しが必要な者だ」と謙遜に認めることが、神に近づく唯一の道である。
神は、その愛ゆえに、私達が神のもとにやってくることを、猶予をもって待ってくださっている。
「主を求めよ。お会いできる間に。近くにおられるうちに、呼び求めよ。」(イザヤ 55:6)

| | コメント (0)

2012年10月 3日 (水)

どんな境遇にあっても

「乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。」(ピリピ4:11)

どんな境遇の中にあっても、満ち足りることなど、どうしたらできるのだろうか。
貧しいと心配が絶えず、飢えると欲しくなり、乏しいと満たしたくなるのが、常である。
しかし、パウロはあらゆる境遇に対する秘訣を心得たと言う。
どんな境遇にあっても、御ち足りることを学んだと言っている。
パウロは、自分を強くしてくださる方、すなわち、神によって、どんなことでもできるのだと、その秘訣を語った。
---------------------
いつもともにいてくださる神を知ることは、どんなに強みとなることだろうか。
天の蔵は無尽蔵である。
貧しい時、信じて祈れば、与えて下さる神がいる。
飢える時は、すべてをご存知で、養って下さる神がいる。
乏しさを覚える時は、ご自身の栄光の富をもって、必要をすべて満たしてくださる神がいる。
限界のある自分の力で頑張ろうと思うと、不安で仕方ないが、神というお方を知れば知るほどに、平安が満ちてくる。
もっともっと、神であられる主を知ることができますように。

 

 

 

 

| | コメント (0)

« 2012年9月 | トップページ | 2012年11月 »