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2011年12月20日 (火)

希望を失った時は…

「 しかし、侍従で、王がその腕に寄りかかっていた者が、神の人に答えて言った。『たとい、主が天に窓を作られるにしても、そんなことがあるだろうか。』そこで、彼は言った。『確かに、あなたは自分の目でそれを見るが、それを食べることはできない。』」(Ⅱ列王記 7:2)

 

アラムがサマリヤを包囲したころ、サマリヤではひどいききんがあった。それは、自分の子どもを食べるほどのひどさであった。この惨状に、王の使者は、「これは主からのわざわいだ。これ以上、何を主に期待できようか。」と言ったが、エリシャは、「明日の今ごろ、サマリヤの門で、上等の小麦と大麦が豊かに売られる。」と預言した。その預言の言葉を聞いた侍従は、「たとい、主が天に窓を作られるにしても…」と答えたのであった。エリシャが告げたとおりに、侍従は、小麦や大麦が売られる光景を前に、民に踏みつけられて、死んでしまったのであった。

 

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同じ惨状を通っても、「ああ、もうだめだ。主がともにいても、助からない。」と言う人と、「主に不可能なことはない。みこころは必ずなる。」と言う人がいる。結果は、大きく異なってくる。「もうだめだ」という思いが湧き上がった時は、主の愛を思い出そう。主はあなたを愛し、あなたを救うために、十字架にかかってくださったのだということを。主を信頼し、主が示して下さる希望への道を突き進んで行こう。助けは必ずやってくる。

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