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2011年11月30日 (水)

律法か愛か

「ヨアブはテコアに人をやって、そこからひとりの知恵のある女を連れて来て、彼女に言った。『あなたは喪に服している者を装い、…王のもとに行き、王にこのように話してくれまいか。』こうしてヨアブは彼女の口にことばを授けた。」(Ⅱサムエル 14:3,4)

 

息子アブシャロムが妹タマルの復讐のために息子アムノンを殺したことで、ダビデはアブシャロムをよく思わず(「敵意をいだき」と書かれている)、放置していた。ダビデの側近ヨアブが、そのことを憂え、知恵のある女を呼び寄せ、言葉を与え、王のもとに遣わした。かつて、ナタンが王に例えをもって、罪を指摘したように、例えを用いて話した。王は、ヨアブの差し金だと気付いたが、願いを聞き入れ、遠くゲシュルの地に逃れていたアブシャロムをエルサレムに連れてこさせた。しかし、ダビデはアブシャロムを家に引きこもらせ、会おうとはしなかった。側にいながら、会おうとはしない父に、アブシャロムは、業を煮やした。そして、王に会せよと、ヨアブの畑に火をつけてヨアブを呼び寄せて、王との面会を実現させた。この後、アブシャロムは、王に謀反を企て、ダビデを一時的に失脚させたのであった。

 

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よかれと思ってしたヨアブの行動は、ダビデの心を無視したものであった。「こうあるべき」という律法がヨアブの中にはあった。預言者の言葉をまねてみたとて、神の愛から出た言葉とは全然異なるものとなる。ダビデ、アブシャロム、どちらをも悔い改めには向かわせず、溝を広げる結果となった。こうしたほうがよいと思った時は、それが律法から出たものか、神の愛から出たものか、今一度考えてみよう。神の時がある。

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