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2011年11月18日 (金)

状況打破のためになすべきこと

「さあ、今、主の前、油そそがれた者の前で、私を訴えなさい。私はだれかの牛を取っただろうか。だれかのろばを取っただろうか。だれかを苦しめ、だれかを迫害しただろうか。だれかの手からわいろを取って自分の目をくらましただろうか。もしそうなら、私はあなたがたにお返しする。」(Ⅰサムエル 12:3)

 

預言者サムエルは、忠実に主の務めをなし、民を勝利へと導いていた。ところが、サムエルが年をとり、息子たちをイスラエルのさばきつかさとしたところから、民は王を求めた。息子たちは、父の道に歩まず、わいろを取ってさばきをまげていたためであった。サムエルが歩んだ主の道に歩んでいない息子たちを、民をさばくポジションにつけたことが原因だが、それでも主を信じる信仰によって歩み、正しくさばかれる神を信じ、神に祈りの中で訴える熱心があったなら、王を求めることはしなかったであろう。平和な中、民は主を忘れ、息子たちに目をとめた結果、人間的な統率力を求めたのである。

 

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このままではよくないという状況の中、打破するためになすべきことは、主に祈り、奇跡的な主の介在を待ち望むことである。人間的に動いてしまうなら、一見、よいように見えたとしても、それが仇となり、後に悪い方向へと進みかねない。これが主のなさったことだという確信とともに動くなら、輝くばかりの主の栄光が降り注がれることだろう。忍耐をもって、祈り続けよう。

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