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2011年11月17日 (木)

依存するということ

「主はサムエルに仰せられた。『彼らの言うことを聞き、彼らにひとりの王を立てよ。』そこで、サムエルはイスラエルの人々に、『おのおの自分の町に帰りなさい。』と言った。」(Ⅰサムエル 8:22)

 

主のみこころは、王を立てることではなかった。王を求めたことは、「民を治めている神を退けたことだ」と言われた。主のみこころは、主のみを信頼し、主により頼み、勝利の道を歩み続けることであった。しかし、今、「王を立てよ」と言われる。王を立てるということは、王の支配下に入り、いろいろな枷がかけられるのだということを、サムエルは説明した。が、民は「どうしても私たちの上には王が必要だ」と聞かなかったからであった。

 

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王を立てることが許されたのは、主の憐れみである。主を拒み、王を立てたいと言って聞かないかたくなな民は、いつ裁かれてもおかしくない状況にあった。それを許して下さったのである。民は、これから続く長い王制によって、人間を王につけるとは、どういった状態かということを、身をもって学んでいくことになる。私たちもまた、神がいるにもかかわらず、必要以上に人間を求めていることはないだろうか。頼りになる人に引張って行ってもらうことは、楽な道であるかもしれない。どのようにすばらしい人であっても、人間には限界がある。自分の足でしっかりと主の御前に立とう。主ご自身があなたを支えて下さるのだから。

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