« 回復のために | トップページ | 律法か愛か »

2011年11月29日 (火)

罪の重さを知る

「その手紙にはこう書かれてあった。『ウリヤを激戦の真正面に出し、彼を残してあなたがたは退き、彼が打たれて死ぬようにせよ。』」(Ⅱサムエル 11:15)

 

自分の命をねらっていたサウルに手をかけるのを拒んだと同じダビデの言葉とは思えない言葉である。姦淫の罪を隠すために、手を尽くしたが失敗に終わったダビデが取ったのは、夫のウリヤを他の者の手によって葬り去ることであった。事がすべて終わってから、神は預言者ナタンを遣わされ、ダビデに罪を指摘された。

 

----------------------

 

何も知らずに死んでしまったウリヤを思うと、神はえこひいきをなされているのではないか、と思えるかもしれない。そのように思えるときには、「神の世界は、死で終わるものではない」ということを覚えておきたい。キリストなる神は生きている者も死んだ者も正しくさばいてくださるお方だ。正しいさばきをなさる神は、ダビデがしっかりと自分の犯した罪の重さを知ることができるよう、事のなりゆきを黙認されていたのである。主を恐れつつ、信頼して歩んで行こう。

|

« 回復のために | トップページ | 律法か愛か »

00 みことばの糧」カテゴリの記事

10 サムエル記 第二」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 回復のために | トップページ | 律法か愛か »