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2011年11月19日 (土)

サウルの自我

「今にもペリシテ人がギルガルの私のところに下って来ようとしているのに、私は、まだ主に嘆願していないと考え、思い切って全焼のいけにえをささげたのです。」(Ⅰサムエル 13:12)

 

サウルは、遅れていたサムエルの到着を待たず、自ら全焼のいけにえをささげたことによって、主なる神に退けられた。神がお選びになった者であるにかかわらず、サウルが退けられた理由は、何だったのだろうか。サウルが神を見上げて、信仰により、いけにえをささげたのならば、主はお受けになったことだろう。王になったサウルの関心は、常に自分であった。「民が私から離れる」「私は主に嘆願していない」「私は主のことばを守った」「私の面目を立ててください」…。サウルのことばをざっと見ても、常に主の前面に自分があった。これが、後のダビデの苦難につながっている。主の矯正の御手においてもサウルは変わらず、生涯の終わりにおいては、霊媒師を頼り、面目を保つことを考えてこの世を去った。

 

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サウルは主を信じていたかもしれない。しかし、常に主の上に自分をおいていた。サタンも主が神であることを知っていた(信じていた)のである。信仰者の自我は、自分では気づきにくい。主への自分の信仰と思うからである。主の前に自分をおいてはいないだろうか。いつも吟味する者であり続けよう。

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