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2011年11月 9日 (水)

兄弟への赦し

「気をつけていなさい。もし兄弟が罪を犯したなら、彼を戒めなさい。そして悔い改めれば、赦しなさい。かりに、あなたに対して一日に七度罪を犯しても、『悔い改めます。』と言って七度あなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」(ルカ 17:3,4)

 

つまずきについて語られた後、イエスが言われたことばである。罪は人を傷つけ、つまずきを起こす。兄弟が罪を犯したら、まず、戒めよと語られている。そういうことはいけないよ、と告げることは大切なことである。裁くのではなく、事実を告げるのである。人に指摘されて初めて、自分のしたことを客観的に見れることもある。次に、赦すように言われている。「悔い改めれば」とあるように、兄弟の場合、罪の自覚が必要である。戒めても、罪を認めようとしないならば、赦しを宣言することは、彼のためにはならない。悔い改めようともしない兄弟に、赦したいと思っても、どうして赦しを宣言することができようか。赦しを必要としていない人に、赦しますと言うことは、自己満足の行為である。彼の将来的な悔い改めの機会を奪うことにもなりかねない。

 

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「赦し」と一言でいうが、「赦し」の世界は奥深い。主の取り扱いなしには、なし得ない。赦したかどうかということは、自分自身にもわかりにくいことである。「赦した」と言っていて、心のどこかでくすぶっていることもある。赦しは、行為となって現れてくるものである。常に、「赦したい」という心をもって、主にゆだねていこう。主の赦しは、兄弟の罪のために被害を受け続けている中でも、無理して赦さないといけない世界ではない。神は、悔い改めのない者を赦すお方ではない。いつでも赦しを用意して、悔い改めることを待っておられる方である。主に似た者となって輝き続けよう。

 

 

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