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2011年10月17日 (月)

心しなえた時は…

「私たちは、それを聞いたとき、あなたがたのために、心がしなえて、もうだれにも、勇気がなくなってしまいました。あなたがたの神、主は、上は天、下は地において神であられるからです。どうか、私があなたがたに真実を尽くしたように、あなたがたもまた私の父の家に真実を尽くすと、今、主にかけて私に誓ってください。そして、私に確かな証拠を下さい。私の父、母、兄弟、姉妹、また、すべて彼らに属する者を生かし、私たちのいのちを死から救い出してください。」(ヨシュア 2:11-13)

 

ヨシュアが送ったふたりの斥候がきた時、遊女ラハブは、やってきた王の使いからふたりをかくまった。その後、斥候たちのところに来て言ったことばである。エジプトを出てからの主のみわざと主の敵に起こった出来事を聞いて、エリコの人々の心はしなえ、勇気をなくした。そのような中で、斥候をとらえて偵察させまいと悪あがきする王の側近、一方、勇気をなくしている中、残っている勇気をふりしぼり、主への信仰に立つ遊女。この信仰の行為が、ラハブ一家を救い、後世までイスラエルの中で過ごすこととなる。ラハブは、イスラエル人と結婚して、イエス・キリストの系図に名を連ねる光栄に預かったのである。

 

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信仰による行為は、それがたとえ小さなものであったとしても、報いをもたらす大きな結果を生み出す。心がしなえ、勇気がなくなってた時は、主をあがめ賛美しよう。そして、自分の願い事を明確に主に言い表そう。神である主が聞いて下さっている!

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