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2011年10月28日 (金)

見た目はどうであっても

「彼の父と母は、それが主によることだとは知らなかった。主はペリシテ人と事を起こす機会を求めておられたからである。そのころはペリシテ人がイスラエルを支配していた。」(士師記 14:4)

 

サムソンは、神のお告げによって、胎内にいるときからのナジル人として生を受けた。ナジル人は、神にささげられた者として聖別された者であり、規定された誓約を守る必要があった。サムソンはイスラエルを支配しているペリシテ人からイスラエルを救うために聖別され生まれたのであった。このサムソン、神のナジル人だから聖く正しい者であったかというと、そうでもなかった。女好きだけど熱しやすく冷めやすい性質であり、女性に弱く、神に与えられた強い力を奔放に使うような人物であった。それでも、神に選ばれ、祝福を受けた者であった。ある日、サムソンは、ティムナという町で、ペリシテ人の娘に一目惚れし、両親に妻にもらってくれと懇願したのであった。

 

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律法的に見るなら、主の民の敵であるペリシテ人の女性との結婚なんて、不信仰でさばきにあってもおかしくない事柄である。サムソンの父母も嘆いていた。しかし、聖書は、「
それが主によることだ」と言っている。サムソンは、見方によっては締まりのない不信者のように見えるかもしれないが、個性ある信仰者であった。ほめられることではない事も多々したが、主の計画された働きの中、生涯を閉じた。私たちは、自分の育った環境や価値観で他人を量りがちである。唯一完全なる正しいお方は神のみである。間違いを犯しやすい私たちは、たやすく人を判断せずに、神の律法である「神への愛」と「隣人への愛」に立って輝いていこう。

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