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2011年10月 8日 (土)

祝福の道

「もし、私が、きょう、あなたがたに命じる、あなたがたの神、主の命令に聞き従うなら、祝福を、もし、あなたがたの神、主の命令に聞き従わず、私が、きょう、あなたがたに命じる道から離れ、あなたがたの知らなかったほかの神々に従って行くなら、のろいを与える。」(申命記 11:27,28)

 

ヨルダン川を渡った後、民は、ゲリジム山とエバル山に立ち、それぞれ祝福とのろいの宣言の誓いを確認する。それぞれの山は、シェケムの町をはさみ、北と南に位置している。この山を見る度に、民はこの祝福とのろいの契約を思い出すだろう。神の命令とは、私たちへの愛から出たみおしえである。神は、何も教えずに、のろいをもたらしはしなかった。祝福の道とのろいの道をわかりやすく教えて、民の自由意思にまかせたのであった。神を愛し、従うことを望みつつ…。

 

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神の思いを知ったなら、従う道を選びたくなるだろう。祝福の道は、神を知ることから始まる。祝福の道が目の前にある。

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