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2011年10月18日 (火)

主への侮り

「しかしイスラエルの子らは、聖絶のもののことで罪を犯し、ユダ部族のゼラフの子ザブディの子であるカルミの子アカンが、聖絶のもののいくらかを取った。そこで、主の怒りはイスラエル人に向かって燃え上がった。」(ヨシュア 7:1)
主の約束の地カナンに行くために、ヨルダン川を渡ったイスラエルの民は、主の言われた通り、エリコの町のまわりを1度、6日間回り、7日目には7度回った。7度目に祭司たちが角笛を吹いた時、ヨシュアは「ときの声を上げよ」との合図とともに、注意を与えた。「ただ、あなたがたは、聖絶のものに手を出すな。聖絶のものにしないため、聖絶のものを取って、イスラエルの宿営を聖絶のものにし、これにわざわいをもたらさないためである」と。厳粛な時に語られたひとつの注意事項だった。にもかかわらず、アカンはこの注意事項を守らず、自分の欲のために、「シヌアルの美しい外套一枚と、銀二百シェケルと、目方五十シェケルの金の延べ棒一本」を取り、天幕の中の地とその下に隠した。この後、イスラエルにわざわいが起こり、ヨシュアが問いただすと、アカンは、罪を告白した。この後、アカンは、聖絶のものをかすめたために、聖絶されたのである。罪を悔い改めたかのような告白をしたのに、と思うかもしれないが、アカンは主が与えた注意があったにもかかわらず、欲に負けてしまった。隠していたことから、悪いことという自覚はあったことが伺える。また、ヨシュアが聞いた時に、金銀の目方をはっきりと即答していることから、金銀の目方を量って、楽しんでいた様子が伺える。カナン入植の第一歩となる厳粛な時に、アカンは主を侮ったのであった。

 

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罪の誘惑は誰にでも起こる。しかし、実行に移すかどうかは、それぞれの意志による。罪の楽しみははかなく、やがて苦味に変わるものである。罪の誘惑が来たときには、主を思い出そう。私たちの罪のために、身代わりとなって下さった主を。誘惑に負けそうになったときには、「助けてください」と呼ばわろう。聖霊なる神が、いつも私たちを助けて下さる。

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