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2009年3月 5日 (木)

主にあれば、苦しみもまた祝福

「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」(詩篇 119:71)

 

ヨセフは何不自由ない暮らしをしていたのだが、ある日、突然ふりかかった出来事によって、エジプトに奴隷として売られた。
ヨセフにとっては、ふってわいたような災難であったが、兄たちにとって、ヨセフさえいなければ…という思いは、常に心にあったことであり、それを実行に移しただけであった。
ヨセフにとっては苦しみの始まりだったが、そこに神様の偉大な計画があったのだ。
「あなたがしようとしていることを、今すぐしなさい。」(ヨハネ 13:27)
これは、主イエスが自分を売ろうとしているイスカリオテユダに対して言われたことばである。
ヨセフの兄たち、イスカリオテユダの罪もが神の偉大なご計画の内にあったのである。
苦しみの渦中においては、わからなかっただろうが、振り返ってみると、偉大な神のみわざが見えてくる。

 

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苦しみを通ってこそ開かれる恵みがある。苦しみを通らないと悟り得ない事柄がある。
キリストゆえの苦しみは大きな祝福となる。
主がいつもヨセフとともにおられたように、苦しみのただ中をともに歩んで下さっている。
産みの苦しみを主とともにのりきろう。

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