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2009年2月

2009年2月26日 (木)

人を赦すには

「もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。」(マタイ 6:14,15)

 

心をふさいでいる事柄があるだろうか?
その時、いつも浮かんでくる人物がいるだろうか?
良かれと思ってしたことで、思わぬ応答が返ってくることがある。
また、何もなく平穏に日々を送っている中で、だれかを通して突然起こったことかもしれない。
そのような時、人の心は傷を受けてしまう。そして、相手のことをあれこれと考える。
なぜ、こんな展開になったのだろう。
なんでこのようなことが起こったのだろう。
考えているうちに、心がそのことに囚われていってしまう。
自分は、赦せない心を抱えているのではないかと悶々と悩みの中に陥る。
そのような時は、主に触れていただくチャンスである。
心を主に向け、呼ばわってみよう。
そして、相手によって当惑している正直な気持ちを、そのまま神に伝えるのである。
主はそのような素直な思いを、とがめずに聞いてくださる。
神との語らいの中、思い当たる非があったならば、主の御前に「ごめんなさい。」と申し上げればよい。
なすべきことは、その時、教えてくださる。

 

思い当たる非がないならば、怒りもくやしさも悲しさもみじめさもすべて主の御前に置くとよい。
「こんなことで、自分は傷など受けていない、相手に嫌な思いを抱くような者ではない。」と強がり、考えまいとふるまうなら、キリストの愛から遠ざかっていってしまうだろう。
愛の反対語は、無関心である。
健全な感情と向き合い、主と語り合っていくならば、赦しは必ずやってくる。
そして、「和睦するのに時がある。」(伝道者 3:8)と相手との和睦の時も、双方が整えられたちょうどよい時に与えられるだろう。
負の感情に蓋をしてしまうなら、時にかなった神の和睦のみわざも知りえないのである。
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主の祈りを教えてくださった後、主イエスは、弟子たちに人を赦すことについて教えられた。
人を赦さないなら、神に赦していただけない…。赦さなければならない。
そのように考え出すと、悪に対して怒ることもいけないことのように思えてきてしまいがちである。
みことばにふれる時、キリストが伝えようとされた意味と愛にとどまることができますように。

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2009年2月 9日 (月)

助けはどこから…?

「苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう。」(詩篇 50:15)

 

物事には始まりがあり、終わりがある。
何かを始めて困難にぶつかることがある。
そんな時、しなければよかったのだろうか、どこかで間違ったのだろうかといろいろ考えてしまっていないだろうか。
結果、平安がなくなってくる。
聖書は言う。そういう時には主を呼び求めよ、と。主が助け出して下さる。
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主を見上げ、みことばによって歩んでも試練はやってくる。
そういうときには再び主に尋ねてみよう。主は与えまた取られる。
一度与えられたものでも場合によっては手放すよう促される。
そういう場合は過去の恵みにしがみつかず、主の言葉に従おう。
しかし、いくら祈っても何も言われない場合もある。
そういう場合は変化が現れるまで現状にとどまっていよう。
祈れない場合はまず祈れませんと申し上げ、主と語り合おう。
祈ることは律法でも宗教でもなく、交わりである。
主に従うには柔軟な態度と忍耐を要する。
主が語られたならば疑わずに大胆に従っていこう。

 

ただ助けられるだけではない。あなたはわたしをあがめよう、と主を仰ぎ見ずにはいられないすばらしい方法で助け出してくださるのである。

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2009年2月 3日 (火)

キリストに信頼する者は、失望させられることがない。

「聖書はこう言っています。『彼に信頼する者は、失望させられることがない。』」(ローマ 10:11)

すべて失望に終わったとしても、主に希望がある。
人間的な思いや計画、望みを超えて、すべてを巻き込み益として下さる主がともにいて下さる。
すべてに失望したとき、人間的な思い、自我を取り扱われ、主への希望だけが残る。
その時、ああ…、主はこのことを教えて下さろうと、私を取り扱って下さったんだなぁ…と悟る。
私への主のすばらしい愛、主がともにいて下さるから、すべてをゆだねて、また一歩進もう。

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すべて失望に終わった時、見えてくる道がある。
残された道は見栄えもなく、ひっそりと延びている道。いろいろな選択肢があった時には、決して選ばなかっただろう道。
今、あなたは何かに失望していないか。そのときこそ、「失望に終わることのない」主に信頼をおこう。
主を信頼し、主の前に静まろう。あなたにも主が招いておられる道が見えてくる……。

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