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2008年6月

2008年6月26日 (木)

その忍耐は主の栄光のものか?

「あなたがたは賢いのに、よくも喜んで愚か者たちをこらえています。事実、あなたがたは、だれかに奴隷にされても、食い尽くされても、だまされても、いばられても、顔をたたかれても、こらえているではありませんか。」(Ⅱコリント 12:19,20)

ひどい腰痛に1年近く、悩まされた姉妹がいた。
とある出来事により、ストレスを受け、その後、しばらくして腰痛になったものであった。
病院へ行き、痛み止めを飲んでも効かず、整体にかかっても治らなかった。
ある時、頭痛の緊張をとくための薬を飲んだところ、腰痛までもよくなったことがあった。
心から来ているのかと思い、腰痛が発している心の声に耳を傾けてみた。
「がんばってつながってないと、切り捨てられる…」腰痛はそう言っていた。

ある日、派遣先の職場の上司の女性から、「つらかったら休んで大丈夫ですからね。」と、優しく言われた。
その一言で、姉妹の目から涙があふれた。
姉妹には、チームで頑張った結果、体のいい言葉だけで認めてもらえず、放置され続け、精根尽き果て、チームが分裂したというつらい過去があり、それを忘れようと、次の職場で必死で頑張っていたのであった。
「私は上に立つ人から、こう接してほしかった。」 この一言を押し殺して、ためていた結果、腰痛になっていたのである。

どうにかなっている時にはわからず、病んで動けなくなった時に、見えてくる真実…。
腰痛になった経験で、姉妹は、すべてにおいて我慢することが決してよいことではなく、感情をうまく表すこともまた大切であることを知ったのであった。

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聖書は忍耐の徳を幾度となく語っている。
しかし、忍耐にも種類がある。何でも忍耐すればよいというものではない。
時には、叱りつけたり、Noということも必要である。
その忍耐は、主の栄光が現われる忍耐であろうか?
耐えるべき事か、そうではない事か、祈り考えてみよう。
蛇のように聡く、鳩のように素直になり、元気に主を証ししていこう。

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