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2002年6月20日 (木)

主題からの学び「贖罪の日」

贖罪の日は、毎年7月10日に守られた。それは、贖いによってイスラエルの全会衆が神との交わりに入れられることを意味する日であった。第7の月の1日はラッパ祭、10日は贖罪の日、15日(14日の夜)から7日間にわたる仮庵の祭が始まる。(レビ 23:24-43
「第七月の十日は贖罪の日、あなたがたのための聖なる会合となる。」(レビ 23:27)
「第七の月の十日には、あなたがたは身を戒めなければならない。この国に生まれた者も、あなたがたの中の在留異国人も、どんな仕事もしてはならない。なぜなら、この日に、あなたがたをきよめるために、あなたがたの贖いがなされるからである。あなたがたは、主の前でそのすべての罪からきよめられるのである。これがあなたがたの全き休みの安息であり、あなたがたは身を戒める。これは永遠のおきてである。油をそそがれ、その父に代わって祭司として仕えるために任命された祭司が、贖いをする。彼は亜麻布の装束、すなわち聖なる装束を着ける。彼は至聖所の贖いをする。また会見の天幕と祭壇の贖いをしなければならない。また彼は祭司たちと集会のすべての人々の贖いをしなければならない。以上のことは、あなたがたに永遠のおきてとなる。これは年に一度、イスラエル人のすべての罪から彼らを贖うためである。」(レビ 16:29-34)
贖いのために、身を戒め、安息と断食がなされた。
主が訪れる贖罪の日は、年に一度であり、それに備えて、心身共に十分な準備が必要であった。
「かってな時に垂れ幕の内側の聖所にはいって、箱の上の『贖いのふた』の前に行ってはならない。死ぬことのないためである。わたしが『贖いのふた』の上の雲の中に現われるからである。」(レビ 16:2)
 
贖いのための犠牲
大祭司は、自分と祭司たちの贖いのために、若い雄牛と雄羊を用意しておく。
「アロンは次のようにして聖所にはいらなければならない。罪のためのいけにえとして若い雄牛、また全焼のいけにえとして雄羊を携え、…」(レビ 16:3)
また、大祭司は、民のために、雄やぎ二頭と雄羊一頭を用意する。
「彼はまた、イスラエル人の会衆から、罪のためのいけにえとして雄やぎ二頭、全焼のいけにえとして雄羊一頭を取らなければならない。」(レビ 16:5)
この日にささげられる雄牛や雄羊の血でもとうてい罪を除き去ることはできなかった。毎年毎年繰り返された贖い。しかし、ついにキリストが来られたとき、「やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです。」(ヘブル 9:12)
キリストが十字架につけられたとき、聖所の幕が裂けた。神と私たちの隔てるものがなくなり、大胆に恵みの御座に近づけるようになったのである。
「キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。」(エペソ 2:14-16)
 
贖い
「(アロンは)聖なる亜麻布の長服を着、亜麻布のももひきをはき、亜麻布の飾り帯を締め、亜麻布のかぶり物をかぶらなければならない。これらが聖なる装束であって、彼はからだに水を浴び、それらを着ける。」(レビ 16:4)
この儀式において、アロンは、栄光と美を表わす装束を身にまとうことはできなかった。アロンは、身を聖めるために、聖潔の象徴である水を浴び、聖なる亜麻布の長服、ももひき、飾り帯、かぶり物に身を包み、厳粛な務めについた。
大祭司は、自分の罪のためのいけにえの若い雄牛と全焼のいけにえの雄羊を携えてきて、自分と自分の家族のための贖いをする。
また、会衆から、罪のためのいけにえのために雄やぎ二頭、全焼のいけにえのために雄羊一頭を取る。
「罪のためのいけにえとして若い雄牛、また全焼のいけにえとして雄羊を携え、…彼はまた、イスラエル人の会衆から、罪のためのいけにえとして雄やぎ二頭、全焼のいけにえとして雄羊一頭を取らなければならない。アロンは自分のための罪のためのいけにえの雄牛をささげ、自分と自分の家族のために贖いをする。二頭のやぎを取り、それを主の前、会見の天幕の入口の所に立たせる。アロンは二頭のやぎのためにくじを引き、一つのくじは主のため、一つのくじはアザゼルのためとする。アロンは、主のくじに当たったやぎをささげて、それを罪のためのいけにえとする。アザゼルのためのくじが当たったやぎは、主の前に生きたままで立たせておかなければならない。これは、それによって贖いをするために、アザゼルとして荒野に放つためである。」(レビ 16:3,5-10)
雄やぎ二頭のうち、一頭は主のため(聖所との関連で犯された罪の贖いのため)、もう一頭はアザゼルのため(会衆の罪を贖うため)とする。その決定には、くじが引かれた。
 
① 大祭司と大祭司の家族のための贖い
「アロンは自分の罪のためのいけにえの雄牛をささげ、自分と自分の家族のために贖いをする。彼は自分の罪のためのいけにえの雄牛をほふる。主の前の祭壇から、火皿いっぱいの炭火と、両手いっぱいの粉にしたかおりの高い香とを取り、垂れ幕の内側に持ってはいる。その香を主の前の火にくべ、香から出る雲があかしの箱の上の『贖いのふた』をおおうようにする。彼が死ぬことのないためである。彼は雄牛の血を取り、指で『贖いのふた』の東側に振りかけ、また指で七たびその血を『贖いのふた』の前に振りかけなければならない。」(レビ 16:11-14)
大祭司は、手を雄牛の上に置いて罪を告白した後、ほふる。雄牛をほふった後、血を注ぐ前に大祭司は火皿に祭壇の炭火を入れ、両手いっぱいの香を取り、至聖所に入る。香炉を「贖いのふた」の上に置き、香を火にくべ、香の煙を十分に出して、主との間をさえぎるようにする(死ぬことのないため)。聖所から出て、雄牛の血を受け取り、再び至聖所に入る。その雄牛の血を「贖いのふた」の東側(東には、大祭司の天幕があった)にふりかけ、前にも7度ふりかける。
 
② 民のための贖い
「アロンは民のための罪のためのいけにえのやぎをほふり、その血を垂れ幕の内側に持ってはいり、あの雄牛の血にしたようにこの血にもして、それを『贖いのふた』の上と『贖いのふた』の前に振りかける。彼はイスラエル人の汚れと、そのそむき、すなわちそのすべての罪のために、聖所の贖いをする。彼らの汚れの中に彼らとともにある会見の天幕にも、このようにしなければならない。彼が贖いをするために聖所にはいって、再び出て来るまで、だれも会見の天幕の中にいてはならない。彼は自分と、自分の家族、それにイスラエルの全集会のために贖いをする。主の前にある祭壇のところに出て行き、その贖いをする。彼はその雄牛の血と、そのやぎの血を取り、それを祭壇の回りにある角に塗る。その残りの血を、その祭壇の上に指で七たび振りかける。彼はそれをきよめ、イスラエル人の汚れからそれを聖別する。」(レビ 16:15-19)
くじで決まった「主のため」のやぎをほふって、民の罪の贖いをする。大祭司は、三度目の至聖所入りをし、雄やぎの血を「贖いのふた」の上と前にふりかける。こうして、雄牛と雄やぎの両方の血で、祭司、民の両方の罪と汚れのために、聖所をきよめた。後、主の前にある祭壇(香壇)の角に雄やぎの血を塗り、上に残りの血を7度ふりかける。こうして、至聖所、聖所がきよめられた。
 
③ アザゼルのやぎ
くじで決まった一頭のやぎの上に民の罪を負わせ、アザゼルとして荒野に放った。
アザゼルとは…?
(1)野に送られるやぎのこと  (2)移動、除去、解放を示す  (3)不毛の地、荒野のこと  (5)荒野にいる悪霊の名 などの解釈があるが、不明である。「全き除去」「罪の全き赦し」の意味が妥当である。罪を負わせたやぎを悪霊の住む荒野に追放し、罪を民から遠く離れたところに追いやることを意図しているようだ。
「彼は聖所と会見の天幕と祭壇との贖いをし終え、先の生きているやぎをささげる。アロンは生きているやぎの頭に両手を置き、イスラエル人のすべての咎と、すべてのそむきを、どんな罪であっても、これを全部それの上に告白し、これらをそのやぎの頭の上に置き、係りの者の手でこれを荒野に放つ。そのやぎは、彼らのすべての咎をその上に負って、不毛の地へ行く。彼はそのやぎを荒野に放つ。」(レビ 16:20-22)
主のためのくじに当たったやぎは殺され、その血が贖罪所の上に注がれたが、もう一頭のやぎは、殺されたやぎに贖われたものとして生かされた。
 
④ 全焼のいけにえ
「アロンは会見の天幕にはいり、聖所にはいったときに着けていた亜麻布の装束を脱ぎ、それをそこに残しておく。彼は聖なる所でそのからだに水を浴び、自分の衣服を着て外に出て、自分の全焼のいけにえと民の全焼のいけにえとをささげ、自分のため、民のために贖いをする。すなわち、罪のためのいけにえの脂肪を祭壇の上で焼いて煙にしなければならない。アザゼルのやぎを放った者は、その衣服を洗い、そのからだに水を浴びる。そうして後に、彼は宿営にはいることができる。罪のためのいけにえの雄牛と、罪のためのいけにえのやぎで、その血が贖いのために聖所に持って行かれたものは、宿営の外に持ち出し、その皮と肉と汚物を火で焼かなければならない。これを焼く者は、その衣服を洗わなければならない。そのからだに水を浴びる。こうして後に宿営にはいることができる。」(レビ 16:23-28)
聖所内で大祭司の衣服に着替えるが、その時、沐浴する。全焼のいけにえの後、至聖所から火皿を取り出す時、そこに残しておいた亜麻布の衣服に着替えたらしい。大祭司の装束になり、全焼のいけにえ(祭司のための雄羊一頭、民のための雄羊一頭)をささげた。
毎年、毎年ささげられていた贖いの血の犠牲、動物の血では、罪は完全に解決されることはなく、神との和解も成り立たなかった。キリストは私たちの贖いのために、来られた。
「キリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです。もし、やぎと雄牛の血、また雌牛の灰を汚れた人々に注ぎかけると、それが聖めの働きをして肉体をきよいものにするとすれば、まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者です。それは、初めの契約のときの違反を贖うための死が実現したので、召された者たちが永遠の資産の約束を受けることができるためなのです。」(ヘブル 9:11-15)

 

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