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2001年4月 5日 (木)

主題からの学び「異言(原語:舌)」

異言は、議論や分裂の原因になりやすい。目や耳ではっきりと認識できる、肉においては理解できない、霊の領域のものだからである。

賜物としての異言

「ある人には奇蹟を行なう力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。」(Ⅰコリント 12:10)     ある人に与えられる御霊の賜物

「そして、神は教会の中で人々を次のように任命されました。すなわち、第一に使徒、次に預言者、次に教師、それから奇蹟を行なう者、それからいやしの賜物を持つ者、助ける者、治める者、異言を語る者などです。みなが使徒でしょうか。みなが預言者でしょうか。みなが教師でしょうか。みなが奇蹟を行なう者でしょうか。みながいやしの賜物を持っているでしょうか。みなが異言を語るでしょうか。みなが解き明かしをするでしょうか。」(Ⅰコリント 12:28-30)     神の召命として

「たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。」(Ⅰコリント 13:1)     人の異言と御使いの異言の区別

「愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。」(Ⅰコリント 13:8)     真理が来れば、いつか止むもの

「異言を話す者は、人に話すのではなく、神に話すのです。というのは、だれも聞いていないのに、自分の霊で奥義を話すからです。」(Ⅰコリント 14:2)     神に話すことば

「異言を話す者は自分の徳を高めますが、預言する者は教会の徳を高めます。」(Ⅰコリント 14:4)        自分の徳を高める。

「私はあなたがたがみな異言を話すことを望んでいますが、それよりも、あなたがたが預言することを望みます。もし異言を話す者がその解き明かしをして教会の徳を高めるのでないなら、異言を語る者よりも、預言する者のほうがまさっています。」(Ⅰコリント 14:5)    異言の解き明かしは教会の徳を高める。

「ですから、兄弟たち。私があなたがたのところへ行って異言を話すとしても、黙示や知識や預言や教えなどによって話さないなら、あなたがたに何の益となるでしょう。」(Ⅰコリント 14:6)    異言だけでは益にならない。しかし、黙示や知識や預言や教えなどが伴えば益になる。

「それと同じように、あなたがたも、舌で明瞭なことばを語るのでなければ、言っている事をどうして知ってもらえるでしょう。それは空気に向かって話しているのです。」(Ⅰコリント 14:9)    人のために語るなら、明確なことばで語る。

「あなたがたは御霊の賜物を熱心に求めているのですから、教会の徳を高めるために、それが豊かに与えられるよう、熱心に求めなさい。こういうわけですから、異言を語る者は、それを解き明かすことができるように祈りなさい。」(Ⅰコリント 14:12,13)      教会の特を高めるために、解き明かしを熱心に求めることを勧めている。

「もし私が異言で祈るなら、私の霊は祈るが、私の知性は実を結ばないのです。ではどうすればよいのでしょう。私は霊において祈り、また知性においても祈りましょう。霊において賛美し、また知性においても賛美しましょう。そうでないと、あなたが霊において祝福しても、異言を知らない人々の座席に着いている人は、あなたの言っていることがわからないのですから、あなたの感謝について、どうしてアーメンと言えるでしょう。」(Ⅰコリント 14:14-16)        霊の祈りと知性の祈り

「私は、あなたがたのだれよりも多くの異言を話すことを神に感謝していますが、教会では、異言で一万語話すよりは、ほかの人を教えるために、私の知性を用いて五つのことばを話したいのです。」(Ⅰコリント 14:18,19)        異言の賜物への感謝と教会の他の人への配慮

「律法にこう書いてあります。「『わたしは、異なった舌により、異国の人のくちびるによってこの民に語るが、彼らはなおわたしの言うことを聞き入れない。』と主は言われる。」このように、[奇異な感じを与える]言葉[異言]は信者のためのものではなく、不信者のための<超自然的な>しるしですが、預言<神のみ旨とご計画を解き明かす霊感による説教と教え>は不信者のためではなく、信者のためです。」 (Ⅰコリント 14:21,22<新改訳、詳訳>)
 「まことに主は、もつれた舌で、外国のことばで、この民に語られる。主は、彼らに『ここにいこいがある。疲れた者をいこわせよ。ここに休みがある。』と仰せられたのに、彼らは聞こうとはしなかった。」(イザヤ 28:11,12)
不信者 (信じない者、信じようとしない者、未信者(まだ信じていない求道者)ではない)者への、不信仰を明らかにさせる機会となる「しるし」

「ですから、もし教会全体が一か所に集まって、みなが異言を話すとしたら、初心の者とか信者でない者とかがはいって来たとき、彼らは、あなたがたを気違いだと言わないでしょうか。」(Ⅰコリント 14:23)      秩序と統制が大切。

「兄弟たち。では、どうすればよいのでしょう。あなたがたが集まるときには、それぞれの人が賛美したり、教えたり、黙示を話したり、異言を話したり、解き明かしたりします。そのすべてのことを、徳を高めるためにしなさい。」(Ⅰコリント 14:26)        徳を高めるために用いる。

「もし異言を話すのならば、ふたりか、多くても三人で順番に話すべきで、ひとりは解き明かしをしなさい。もし解き明かす者がだれもいなければ、教会ではだまっていなさい。自分だけで、神に向かって話しなさい。」(Ⅰコリント 14:27,28)        解き明かす者がいなければ、教会ではだまっていて、自分と神の間で用いる。

「それゆえ、わたしの兄弟たち。預言することを熱心に求めなさい。異言を話すことも禁じてはいけません。」(Ⅰコリント 14:39)     異言を禁じることの禁止。

 

 グロースサ:舌(異言、ことばと訳されている)

「信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、」(マルコ 16:17)      信者に伴うしるし

「また、炎のような分かれたが現われて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。」(使徒 2:3,4)     聖霊のバプテスマと舌(異言)の関係

「しかし、を制御することは、だれにもできません。それは少しもじっとしていない悪であり、死の毒に満ちています。」(ヤコブ 3:8)     制御できない舌を聖霊にゆだねる。

 

聖霊のバプテスマに見られる異言

「彼らは主イエスの御名によってバプテスマを受けていただけで、聖霊がまだだれにも下っておられなかったからである。」(使徒 8:16)               水のバプテスマだけ受けていた。

「ペテロがなおもこれらのことばを話し続けているとき、みことばに耳を傾けていたすべての人々に聖霊がお下りになった。割礼を受けている信者で、ペテロといっしょに来た人たちは、異邦人にも聖霊の賜物が注がれたので驚いた。彼らが異言を話し、神を賛美するのを聞いたからである。そこでペテロはこう言った。」 (使徒 10:44-46)
         水のバプテスマの前にみことばを聞いていたすべての異邦人に聖霊が下っている。
         聖霊を受けたかどうかわかっていた。

「この人は、主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教えていたが、ただヨハネのバプテスマしか知らなかった。」(使徒 18:25)       霊に燃えていたが、聖霊のバプテスマを知らなかった。

「パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたりした。」(使徒 19:6)
    エペソの弟子たちは信じたとき聖霊を知らず、まだ受けていなかった。
           聖霊を受けた人は、異言を語り、預言をした。他には言及されていない。



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