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2000年11月 9日 (木)

主題からの学び「三位一体なる神」

父なる神
「わたしは、『わたしはある。』という者である。」(出エジプト 3:14)
「わたしは初めであり、わたしは終わりである。わたしのほかに神はない。」(イザヤ 44:6)
    永遠に存在し、唯一なる神
「初めに、神(<エロヒーム>)が天と地を創造した。」(創世記 1:1) 以下、神=<エロヒーム>となっている。
「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。」(創世記 1:26)
    複数形で表現されている神。<エロヒーム>は複数形。
「そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、」(マタイ 28:19)
    この御名は、父、子、聖霊と3つの名であるにもかかわらず、原語をみると、単数形である。
 
神なるイエス
「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」(ヨハネ 1:1)
    ことばがイエスを指していることは、ヨハネ 1:14以下でわかる。
「祝福された望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエスの栄光ある現われ」(テトス 2:13)
「私たちの神であり救い主であるイエス・キリストの義によって」(Ⅱペテロ 1:1)
「神である主、常にいまし、昔いまし、後に来られる方、万物の支配者がこう言われる。『わたしはアルファであり、オメガである。』」(黙示録 1:8)
「見よ。わたしはすぐに来る。わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために、わたしの報いを携えて来る。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」(黙示録 22:12,13)
    イザヤ 44:6の神。これから来られる方はイエス。
「アーメンである方、忠実で、真実な証人、神に造られたものの根源である方がこう言われる。」(黙示録 3:14)
    アーメンである方:イザヤ 65:16の「まことの神」は、<エロヘ・アメン>。これは、アーメンである方の意味。
 
聖霊なる神
「どうしてあなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、」(使徒 5:3)
「あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」(使徒 5:4)と言い換えている。
「聖霊が言われるとおりです。」(ヘブル 3:7)
話すのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって話されるあなたがたの父の御霊だからです。」(マタイ 10:20)
「聖霊が教えてくださる」(ルカ 12:12)
「助け、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」(ヨハネ 14:26)
    人格をもたれる聖霊
 
聖書に見られる三位一体
上記以外にも、たくさんの個所が、3つの位格、一つの実体の神について述べている。
古代の人たちにとって、象徴的数字の使い方は、大きな意味をもっていた。それは、聖書においてもである。
聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。その栄光は全地に満つ。」(イザヤ 6:3) 
3回繰り返されているのは、三位一体の暗示。
   モーセが、渇きのための民の要求を満たすため、岩を打ち、水を出す個所が2個所ある。1回目のメリバでは、「あなたがその岩を打つと、岩から水が出る。民はそれを飲もう。」(出エジプト 17:6)と指示され、そのようにした。
2回目のカデシュで、「あなたがたが彼らの目の前で岩に命じれば、岩は水を出す。」(民数記 20:8)との指示に、行きすぎたことをしてしまって(岩を杖で2度打った)、「あなたがたはわたしを信ぜず、わたしをイスラエルの人々の前に聖なる者としなかった。それゆえ、あなたがたは、この集会を、わたしが彼らに与えた地に導き入れることはできない。」(民数記 20:12)との宣告を受け、モーセは、約束の地に入ることができなかった。なぜ、神は、モーセに、このように厳しすぎると思える判決を下されたか? それは、イエスさまの型となっている岩を2回打ったためである。主が打たれるのは、1度で十分、完全なわざであった。主イエスが1度打たれれば、後は、命じるだけで、恵みは下る。このことを象徴的に残すために、神は、このことに関して、厳しすぎるともいえるような扱いをされたのである。聖書には、このように、神を表すための重要な数が表されている。三位一体を暗示することばも多くあるのである。ご聖霊に、霊の目を開いてもらわずしては、理解することはできない。
三位一体という言葉自体は出てこなくても、このように、三位一体の概念はある。
三位一体という言葉が最初に見られるのは、181年頃のギリシヤ教父アンテオケのテオフィロスの著作においてであるが、教理として確立したのは、キリストの神性をめぐって開かれた325年のニカイア会議においてである。
水、氷、水蒸気、これらは、働きや形が違っても同じ H2Oであるように、神もまた、現われや働きが違っても神である。三つにいまして一つの神なのである。

 

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