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2000年9月

2000年9月28日 (木)

主題からの学び「御霊の実」

具体的に、どのような特徴が、御霊の実なのか。
「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」(ガラテヤ 5:22,23)
  これは、山上の説教の要約といえる。内側のキリストのいのちの結果現される実。
木の実は、木自身のためのものではなく、それを食べる者のためのものである。御霊の実は、クリスチャンが出会う人々への態度を示す。
 
御霊の実は一つ、愛の実であるといえる。
喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制の8つの実は、愛の現れである。
「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません(平安、善意、誠実)。愛は自慢せず(誠実、柔和、自制)、高慢になりません(善意、誠実、柔和)。礼儀に反することをせず(誠実、柔和)、自分の利益を求めず(寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制)、怒らず(平安、寛容、柔和、自制)、人のした悪を思わず(平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制)、不正を喜ばずに真理を喜びます(喜び、誠実)。すべてをがまんし(寛容、親切、善意、柔和、自制)、すべてを信じ(誠実)、すべてを期待し(喜び、平安)、すべてを耐え忍びます(寛容、自制)。愛は決して絶えることがありません。」(Ⅰコリント 13:4-8)は、御霊の実を拡張したものである。
 
D.L.ムーディは、次のように述べている。
 「喜びは、高められた愛。平安は、応答する愛。忍耐は、疲れを知らぬ愛。やさしさは、耐える愛。善意は、行動にお
ける愛。信仰は、戦いの場での愛。謙遜さは、戒規の下での愛。自制は、訓練下での愛。」
 
喜び (喜び)
喜びは、「神のあわれみ」「祝福」「恩恵」に対する愛の反応である。全聖書に647回使われている(新改訳)。
「なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。」(ローマ 14:17)
山上の説教:「わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。あなたがたより前に来た預言者たちも、そのように迫害されました。」(マタイ 5:11,12)
 キリスト者の喜びは、環境に左右されない実である。最も試みの大きい環境においてさえも神に依存する。
「主を喜ぶことはあなたがたの力です。」(ネヘミヤ 8:10<口語訳>)
「あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。」(詩篇 16:11)
 
平安 (平和)
平安は、喜びよりも深く、安定したものである。他の人々と平和を保つ。喧嘩、闘争、党派心からの自由。
山上の説教:「平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。」(マタイ 5:9)
「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。」(ヨハネ 14:27)
「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」(ローマ 5:1)
「あなたがたが私から学び、受け、聞き、また見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。」(ピリピ 4:9)
 
寛容 (忍耐)
主がどれほど、自分に寛容であられたかを知る者は、他の人々にも忍耐をもつ気持ちができる。
山上の説教:「あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を行ないなさい。あなたをのろう者を祝福しなさい。あなたを侮辱する者のために祈りなさい。あなたの片方の頬を打つ者には、ほかの頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着も拒んではいけません。すべて求める者には与えなさい。奪い取る者からは取り戻してはいけません。」(ルカ 6:27-30)
「主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」(Ⅱペテロ 3:9)
「主よ。あなたは、あわれみ深く、情け深い神。怒るのにおそく、恵みとまことに富んでおられます。」(詩篇 86:15)
「その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。」(ヤコブ 1:4)
 
親切 (慈愛、善、やさしさ)
人々の失敗を愛をもって扱うこと。
山上の説教:「あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。」(マタイ 5:7)
「それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。」(ローマ 2:4)
「神の慈愛と峻厳とを見よ。神の峻厳は倒れた者たちに向けられ、神の慈愛は、もしあなたがその慈愛にとどまっているなら、あなたに向けられる。そうでないと、あなたも切り取られる」(ローマ 11:22<口語訳>)
 
善意 (善意、よいこと)
もし、人が心に善意があれば、他人に善を行う。利己的な(パリサイ人的な、自己義認的な)善意は、一種の悪である。これは、他人に利益を加える愛ともいえる。消極的な善は不十分である(途中でやめるくらいなら、やらない方がましな場合もある)。
山上の説教:「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」(マタイ 5:16)
        「あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。」(マタイ 6:3)
「光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです。」(エペソ 5:9)
 
誠実 (信仰)
信仰が生み出す性格と振舞いの誠実さ。「信頼されること」と「信頼すること」
山上の説教:「義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。」(マタイ 5:6)
信頼されること:「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。」(マタイ 25:21,23)御霊の実を結ぶ者は、他の人々へのことばを守る。契約、約束、義務への忠実。責任逃れをしない。
信頼すること:「不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、」(Ⅰコリント 13:6,7)神への信仰のみならず、人々をも信じること。人々への猜疑の念を持たず、最善を信じる。
 
柔和 (柔和)
柔和とは、怒りや人を傷つけるようなことをあらわさないことである。劣等感からくる小心、臆病、弱さとは異なる。真に強い者は、余裕があり、柔和である。これは、主によってあらわされる力の実である。
山上の説教:「柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。」(マタイ 5:5)
「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」(マタイ 11:29)
 
自制 (節制、自制、克己、寛大)
真の自己愛といえる。自分を重んじる者、自分の体を聖霊の宮であるとみなす者は、衝動を制御する。飲食のみならず、生活のあらゆる面にわたっての制御。他人への寛大は、完全な自制である。怒り、肉的情熱、食欲、世的な楽しみへの欲、利己主義への制御。
山上の説教:「狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。」(マタイ 7:13)
        「いま食べ飽きているあなたがたは、哀れな者です。やがて、飢えるようになるからです。いま笑っている
あなたがたは、哀れな者です。やがて悲しみ泣くようになるからです。」(ルカ 6:25)
「怒りをおそくする者は勇士にまさり、自分の心を治める者は町を攻め取る者にまさる。」(箴言 16:32)
 
愛 (愛)
山上の説教:「あなたたちの敵を愛<することを習慣と>しなさい。またあなたたちを忌み嫌う者<憎しみをもってあなたたちを追及する者>親切を尽くしなさい<よくしてやり、りっぱに応待しなさい>。あなたたちをのろっている者の祝福を祈り求め<幸福を祈り>、あなたたちをはずかしめている者<ののしり、とがめ、誹謗し、脅かしている者>に神の祝福<愛顧>を願い求めなさい。」(ルカ 6:27,28<詳訳>)
「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」(ヨハネ 13:34,35)
「愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。」(Ⅰヨハネ 4:7,8)
 神は愛であるから、キリスト者の結ぶ実も愛である。
「それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。」(コロサイ 3:12-14)
 愛は、他の御霊の実を結んで一つにまとめ、御霊の一致を保つ接着剤。
木が、水を吸い上げ、光を浴びて光合成をして、fruit(実)を成らせるように、私たちも、生ける水をいただき、みことばの光に日々照らして自分のものとして(信仰を働かせて)歩む責任はある。そうすれば、豊かなfruit(実)が成るはずである。

 

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2000年9月14日 (木)

主題からの学び「キリスト者の結ぶ実」

内におられるキリストのいのちの実際の証拠、特徴
「悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。」(詩篇 1:1-3)
「あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。良い木が悪い実をならせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。こういうわけで、あなたがたは、実によって彼らを見分けることができるのです。」(マタイ 7:16-20)
「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、」(ヨハネ 15:16)
 
良い実を見分けるには。

  1. 悔い改めの実

「それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。」(マタイ 3: 8)

  1. 御霊の実を結んでいるか

「肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。」(ガラテヤ 5: 19-24)
「光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです。」(エペソ 5: 9)
「上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。」(ヤコブ 3: 17,18)
 
良い実を結ぶには。

  1. キリストの愛にとどまる

「わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」(ヨハネ 15: 4,5)
「蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。」(Ⅱコリント 9: 10)
「いちじくの木がオリーブの実をならせたり、ぶどうの木がいちじくの実をならせたりするようなことは、できることでしょうか。塩水が甘い水を出すこともできないことです。」(ヤコブ 3:12)

  1. 正しく教えられる

「私たち一同も、なくてならないもののために、正しい仕事に励むように教えられなければなりません。それは、実を結ばない者にならないためです。」(テトス 3:14)

  1. 試練による訓練

「わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。」(ヨハネ 15:2) 
 
「すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。」(ヘブル 12:11)

  1. 愛にとどまるためのできる限りの努力(人間的努力ではなく、内住の御霊への従順への努力)

「あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、あなたがたは、私たちの主イエス・キリストを知る点で、役に立たない者とか、実を結ばない者になることはありません。これらを備えていない者は、近視眼であり、盲目であって、自分の以前の罪がきよめられたことを忘れてしまったのです。ですから、兄弟たちよ。ますます熱心に、あなたがたの召されたことと選ばれたこととを確かなものとしなさい。これらのことを行なっていれば、つまずくことなど決してありません。」(Ⅱペテロ 1:5-10)
  人間的な努力で達成された徳は、御霊の実ではなく、ろうで作った模倣の実のようなものである。それは、本物の実ではない。遠くからは本物の実のように美しく見えるが、全く味がない。御霊によってキリストが信者の内に形成されるとき、りんごの木にりんごが自然に成るように、クリスチャンに御霊の実がおのずと生じる。もし、クリスチャンに実がなければ、キリストの霊もない。
 
死か永遠のいのちかは信仰とともに、その信仰の成す実にもよる(何への信仰か。)
「道ばたにいちじくの木が見えたので、近づいて行かれたが、葉のほかは何もないのに気づかれた。それで、イエスはその木に『おまえの実は、もういつまでも、ならないように。』と言われた。すると、たちまちいちじくの木は枯れた。」(マタイ 21:19)
「その当時、今ではあなたがたが恥じているそのようなものから、何か良い実を得たでしょうか。それらのものの行き着く所は死です。しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得たのです。その行き着く所は永遠のいのちです。」(ローマ 6: 21,22)
 
収穫の実は、自分自身の実ではない。神の国の実である。
「地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実がはいります。」(マルコ 4: 28)
「わたしは、あなたがたに自分で労苦しなかったものを刈り取らせるために、あなたがたを遣わしました。ほかの人々が労苦して、あなたがたはその労苦の実を得ているのです。」(ヨハネ 4: 38)
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」(ヨハネ 12: 24)
  この結ぶといわれている語は、持っていく、運ぶという動詞 (フェレイ)という語である。
「私はあなたがたの中でも、ほかの国の人々の中で得たと同じように、いくらかの実を得ようと思って、何度もあなたがたのところに行こうとしたのですが、今なお妨げられているのです。」(ローマ 1: 13)
「なぜなら、神は、みこころにかなう人には、知恵と知識と喜びを与え、罪人には、神のみこころにかなう者に渡すために、集め、たくわえる仕事を与えられる。これもまた、むなしく、風を追うようなものだ。」(伝道者 2:26)

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