2014年2月12日 (水)

映画「シークレット・サンシャイン」

Secret
何年か前に、新聞の書評で紹介されていた映画。
被害者の心を置き去りに、宗教的にみことばを使う危険を伝えていた。

---------
夫を亡くしたばかりの夫人シネが、小さな一人息子を殺されてしまう。
死亡届を出しに行ったシネは、苦しみに耐えきれなくなって、役場を後にする。
そこへ、キリスト教会の賛美の歌が聞こえてきた。
聖霊に満ちた賛美に導かれ、教会に入ったシネは賛美と牧師の祈りの中、慟哭した。
神に触れられ、平安に満ちた顔のシネ。
熱心に教会活動に打ち込んだ。
しかし、深い痛みは、宗教行為では消えるものではなく、ふとしたことで、シネを襲う。
この苦しみから解放されたく、ある時、犯人に神の愛と赦しを伝えるために、刑務所に行くことを、宣言した。
牧師やメンバーから賞賛を受け、彼女は刑務所に出向いた。
犯人に面会し、「神の恵みと愛を伝えにきた」と告げたシネに、犯人は、「心から感謝します。私も入所してからキリストを信じました。すばらしいことに、神に罪を赦されました。平安の中、毎日、祈ってます。」と謝罪もなく、笑みを浮かべて語った。
犯人は、刑務所伝道でか、その他のことでか、(中途半端に?)神を信じていたのであった。(本当の回心は、被害を与えた人に謝罪の心が伴うものだ!)
シネの苦悩が再び始まった。
「神は、なぜ…? 私をも愛しているはずの神がなぜ…?自分が苦しんでいる間、犯人は許されたと言って平安に過ごしていた。」
神に訴えるかのように、荒れた生活をするシネ。
そのシネの傍に、いつもよりそい支えるジョンチャンの姿は、陽だまりのように支える愛が、いかに大切かを、語っていた。

-------------
この映画のDVDを見て、被害者支援の必要を感じた。
すべてのクリスチャンが、人の心を知り、宗教的(律法的)ではなく、キリストの愛によって、みことばを語ることを願わずにはいられない。

-------------
「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。」(ローマ 12:15)

 

| | コメント (0)