エズラ記

2013年7月 4日 (木)

罪に対する態度

「かえって、彼らも、その息子たちも、これらの国々の娘をめとり、聖なる種族がこれらの国々の民と混じり合ってしまいました。
しかも、つかさたち、代表者たちがこの不信の罪の張本人なのです。」(エズラ 9:2)

神の民は、自分たちの犯した罪によって、捕囚という苦しみを通り、他国で奴隷生活を送っていた。
その中で、もう神の約束も忘れられ、人々は神の忌み嫌う国々の民と縁を結び、混じり合ってしまっていた。
この不信の罪を犯した張本人は、本来ならば、神のみこころを教えるはずのつかさたちや代表者たちであった。
宮は再建されたが、これからの課題は多かった。
このことを知ったエズラはショックを受け、夕方のささげ物の時刻まで、色を失ってじっと座っていたが、気を取り戻して、この状態を恥じ入って、とりなしの祈りを始めたのであった。
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あたり前のようになってしまった罪であっても、罪は罪である。
周囲の人たち全員が同じようにしていたとしても、罪は罪である。
基準は人ではなく、神である。
罪の状況を見てショックを受けるのは、神にある正しいあり方である。
ショックを受けなくなり、妥協するのがあたり前になってしまう前に、神のみ前に悔い改め、とりなしをしていこう。
そして、ショックを受けた後に、まずなすべきことは、へりくだった心での神へのとりなしの祈りである。
祈らずに、人間的に進んでいくなら、疲れ果て、妥協の道が待ち構えている。
あきらめるその前に、神のみ前にひざまずいて祈ろう。
神は、その祈りを受け入れて下さるから!

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2013年6月15日 (土)

面倒がらずに主を信じて…

「こうして、この宮はダリヨス王の治世の第六年、アダルの月の三日に完成した。」(エズラ6:15)

捕囚で散らされていた神の民が自国に帰り、一つとなって主の宮を再建することは、主のみこころであった。
しかし、エルサレムに帰還し、神殿再建に着手して間もなく、15年間工事は中断してしまった。
敵が妨害し、宮を建てさせまいとしたからである。
ハガイとゼカリヤというふたりの預言者の預言によって、神殿建設が再開された。
今回も、やめさせようとするかのように総督たちがやってきたが、この総督たちは公平に物事を処理した。
現王ダリヨスに手紙を送って、過去の文献の記録を調べさせたところ、クロス王が確かに命令をくだして、しかも、神殿建設のために援助していることが判明したのであった。
王の印の命令は変えることができない。
こうして現王ダリヨスによって再び援助するよう命令が下され、邪魔する者を罰する命令が下された。
長い月日は要したが、宮が完成され、神の民は再び主によって一つとされた。
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正しいことをしているなら、いかに敵が多く妨げたとしても、祈りのもと、ゆるがずに堅く立って手順をふめば、勝利はやってくる。
主による正しい行動は、誰にもくつがえされることのない完璧な証拠が用意されている。
時間がかかっても、面倒がらずに、放り出さずに説明しよう。主が後押しされる!!

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2013年5月29日 (水)

神の栄光は何かを考えて、行動しよう。

「すると、その地の民は、建てさせまいとして、ユダの民の気力を失わせ、彼らをおどした。」(エズラ 4:4)

待ち望んだ神殿再建をしている帰還民のところに、「ここに住んだ時からあなたがたの神にいけにえを捧げて、同じ神を信じてきたので、一緒に神殿を建てたい」と近づいてきた者たちがいた。
彼らは、サマリヤがアッシリアに滅ぼされた時に入植してきた外国人と残留イスラエル人との混合民族で、宗教的にもいろいろ混合していた。
このサマリヤ人たちは、到底、同じ神にいけにえを捧げてきたとはいえない状態だったため、帰還民たちは「神殿建設について、あなたがたと私たちとは、何の関係もない」と言って断ったのであった。
断られたサマリヤ人たちは、精神的な嫌がらせ、議官の買収、王に告訴状を提出…といった執拗な妨害を始めたのであった。
この嫌がらせは30年近くにわたって行われ、神殿建設は、約18年間中止させられることとなったのである。
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サマリヤ人が、心は本当に同じ神を信じていたならば、断られた後の言動は、違ったものであった。
誰が造ったとしても、神の宮が再建されることは、うれしい喜びのはずである。
サマリヤ人たちが本当に神を求めて、自分のプライドよりも、神の栄光を考え、行動していたならば、この後ずっと続いていくユダヤ人とサマリヤ人の対立も、避けられたのかもしれない。
神を信じる者として、神の栄光は何かを考えて、行動しよう。
その影響は計り知れず、神を第一とした時の祝福は大きいものであるのだから

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2013年5月21日 (火)

その涙は何の涙?

「しかし、祭司、レビ人、一族のかしらたちのうち、最初の宮を見たことのある多くの老人たちは、彼らの目の前でこの宮の基が据えられたとき、大声をあげて泣いた。一方、ほかの多くの人々は喜びにあふれて声を張り上げた。」(エズラ 3:12)

バビロニア捕囚から70年が過ぎて、ペルシヤのクロスが王となった。
征服した民を強制的に周囲の国々の中に散らして移住させる政策をとっていたバビロニアに対し、ペルシヤは征服した民族に自由を与え忠誠を誓わせるという政策をとった。
そこで、信仰に立ったイスラエルの民は、エルサレムとユダの地に戻り、神の宮を再建することにした。
居残る者たちは、帰還する者たちを援助することで支えた。
こうして、神殿の礎が築かれ、民は主を賛美し、大声で喜んだのであった。
エルサレム神殿が破壊されてから50年後のことであった。
当時のエルサレム神殿を知る老人たちは、礎を見た時、大声で泣いたのであった。
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長年、心を占めていた神殿崩壊の痛み悲しみ。
老人たちの心はどんなに複雑だったことだろう。
暗い出来事の後、「残りの民は帰らん」という預言者のことばを信じて、信仰を守り伝えてきたのであった。
その希望の礎が据えられたのである。
以前の栄光に満ちた神殿の姿とは、比べようもないほどの礎だったが、希望の礎である。
喜びだけではなく、罪の悲しみ、感慨深さ…がせきを切って流れてきたのであった。
伝える者の使命によって、信仰は伝えられ、神殿は再建された。
主の約束は必ず実現する!! 与えられた使命に従って、歩んでいこう。

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