民数記

2012年12月 6日 (木)

主に用いられた時の態度

「すると、主はろばの口を開かれたので、ろばがバラムに言った。「私があなたに何をしたというのですか。私を三度も打つとは。」(民数記 22:28)

エジプトから贖い出されたイスラエルの民が荒野にいた時のこと、モアブの王バラクは、勝利していくイスラエル人を恐れた。
そこで王バラクは、「彼が祝福する者は祝福され、彼がのろう者はのろわれる」と評判だった占い師バラムに使いを出して、イスラエルをのろうようにことづけた。
しかし、神に「のろってはいけない。」と言われ、バラムはバラクのところに行くことを拒んだ。
ところが、王バラクがあきらめなかったため、バラムは、神に再確認することにした。
神に「わたしがあなたに告げることだけを行なえ」と言われたバラムは、使いの者たちと一緒に王のもとへと向かった。
モアブで受けようとしている栄誉と富に心奪われ、バラムが出発すると、神は怒りを発せられ、主の使いを送られた。
主の使いを見て道をそれたろばをバラムが打ち叩いた時、主はろばの口を開かれた。
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主に用いられることは、喜びである。
喜びのあまり、自分が素晴らしいものになったかのように錯覚してしまうかもしれない。
しかし、誰もいなかった場合、主はろばの口をも用いられるお方である。
私たちは、「なすべきことをしただけです。」(ルカ 17:10)という謙遜な態度が必要である。
その態度を忘れずに、主のみわざを大いに喜ぼう。
主の栄光が輝きわたるために。

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