イザヤ書

2013年10月19日 (土)

自我を捨てよう。

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ 43:4)

主は、私たちの外側や能力や働きがどうであったとしても、その存在を宝物のように愛して下さっている。
私たちは、主に出会い、その愛の広さ、長さ、高さ、深さを知って、初めて自分で握っていたいろいろなものを手放せる。
宗教的に外面をいろいろ繕ったとしても、本質の変革は、主の愛に触れないと、起きない。
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私たちはセルフイメージが低いことで、どれだけのみこころを逃しているのだろ
うか。間違った自己評価をしていると、いつかはがれるが、主が与えて下さる評
価は、不動の評価である。
神がいのちを差し出すほどに、愛してくださっているのに、その愛を自分のフィ
ルターを通し、差し引いて過小評価してはいないか。
そうやって自分を握りしめてはいないか。それは強い自我である。
宗教的に長年、どれだけ祈り、頑張ったとしても、それだけでは、脱しきれない
壁がある。
主の愛に出会うと、その壁が一瞬で破壊し、たとえ瀕死の状態であったとしても
拾い上げて、有用な器になるよう整えて下さる。
豊かな実を結ぶようにという主の思いが、そこにあるからだ。
セルフイメージを捨て、主のイメージを身につけよう。
自分で握っているイメージを捨てて従っていこう。
その先にある世界は、なんと素晴らしいものだろうか。

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2013年5月19日 (日)

神の義

「義は平和をつくり出し、義はとこしえの平穏と信頼をもたらす。わたしの民は、平和な住まい、安全な家、安らかないこいの場に住む。」(イザヤ 32:17,18)

神は愛である。と同時に、神は義でもある。
真実の愛は、義と共存する。
義(正しさ)の判断基準はどこにあるだろうか。
正しい完全なお方は、神だけである。
そして、そのお方は愛である。
ある教会の指導者が、ヘブル13:17「あなたがたの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。」のみことばを用いて、自分に従うことを強要した。
従わない信徒は排除していった。
その結果、教会を離れる信徒が続出した。
何をどこで間違ったのだろうか。
その指導者は、確かにみことばを用いていたが、自分の支配欲を満たすために、みことばを利用してしまったのである。
そのことが明らかになるまでは、長い年月が流れ、その間、多くの人たちが神につまずき離れていったのであった。
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みことばを読む時、主ご自身を正しく知ろう。
知らないままに適応してしまうと、さまざまな解釈が生まれてくる。
正しいお方は神だけであるというへりくだりと、その愛ゆえに私たちに選択の自由を与えておられるということを忘れずに、しっかりと主につながっていこう。
主の義の中には、愛があふれ、平和と信頼が息づいている!!

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2012年9月 7日 (金)

神は必要をご存知だ。

「彼らが呼ばないうちに、わたしは答え、彼らがまだ語っているうちに、わたしは聞く。」(イザヤ 65:24)

主の民は、主の喜びであり、また、楽しみである。
主の民は、主の創造したものを喜び、用いる。
主の祝福は、尽きることはない。
主は、天に無尽蔵の蔵をお持ちであり、私たちのために、それを惜しみなく与えようとしておられる。
主は、私たちの必要を、私たちが口にするより前から、ご存知である。
そして、それをどのようなことのために、必要としているかも知っておられる。

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いろいろな必要のために、あれこれ心を悩ましてはいないか。
私たちがなすべきことは、主に信頼することである。
信頼の中での祈りは、必ずしや、絶妙のタイミングで、答えられる。
必要すべてを主の前に、差し出し、感謝の祈りをささげよう。
主の答えがやってくる!

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2012年9月 1日 (土)

主の解決を!

「ヒゼキヤは、使者の手からその手紙を受け取り、それを読み、主の宮に上って行って、それを主の前に広げた。」(イザヤ37:4)

どちらを選べばよいか、どの選択をすればよいか、分からないという時がある。
事が重大であれば、重大であるほどに、どうすればよいか分からなくなる。
願望やリスク、いろいろ考えて、選択するかもしれない。
うまくいけば安堵の喜び、失敗すれば違う道を選べばよかったと、後悔するだろう。
自分では決められなくて、占いに走る人もいる。
どうしたら、平安に間違いなく選べるだろうか。
ユダの王ヒゼキヤは、強敵アッシリアに攻められ、神を冒涜する手紙を
受け取った時、降伏する道、戦う道…といろいろ浮かんだだろうが、まず、
主の前に行ってその問題を置いた。そして祈った。
祈りは聞かれ、翌朝、主の使いが出て行って、アッシリヤの陣営で、
十八万五千人を打ち殺し、アッシリアの王は、帰って行った。
主は、思いも浮かばなかった道―戦わずして勝ち、主の栄光が満ちる―と
いう方法を取られたのである。

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主の道は、私たちの思いに、はるかに勝っている。
私たちは、あれこれ思い悩むが、苦難も益に変えて下さる主は、思いもよらない解決法をお持ちである。
主の前にあなたの問題を差し出し、祈ろう。
主ご自身が解決へと導いて下さる。

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2009年3月29日 (日)

鷲のように…

「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」(イザヤ書 40:31)

人間関係において、一生懸命やって、うまくいかなかったこと。あなたは、そのことを失敗だと思っているかもしれないが、あれは失敗ではない。互いに気付かなければならない大切なことがあった。それは、これからの働きをなす上で、必要なものである。
主を刺し通した十字架が人々の糧となったように、これからの働きであなたの通った十字架が皆の糧となっていくのである。
だから、主から受けたものは恐れないで、ただ分かち与えていきなさい。
あなたがいる所をわたしは知っている。そして、わたしもともにいるのである。このことを忘れないように歩んでいきなさい。
あなたはわたしの宝である。恐れずに進んで行きなさい。疲れた時には、わたしの与える言葉を聞きなさい。そうすれば、鷲のようにつばさをかって、飛び立つことができるだろう。
あなたに与えた霊的感性をだれにも揺るがされないように、自由を与えた。
飛び立ちなさい。娘よ。わたしが与えた自分の信じる道を、進むのです。
誰によっても邪魔されてはいけません。すべての祝福は、あなたとともにあります。

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