2013年6月14日 (金)

信仰の試練

「信仰の試練は、火を通して精練されてもなお朽ちて行く金よりも尊いのであって、イエス・キリストの現われのときに称賛と光栄と栄誉に至るものであることがわかります。」(Ⅰペテロ 1:7)

信仰によって歩もうとする時、なんでこんなことが???と思うような出来事が降りかかることがある。
その試練は、何年にも渡って苦しむことになるかもしれない。
試練を通り過ぎて、初めてわかることがある。
神に見捨てられたかのような長い試練の時には、わからなかったことだ。

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それは本当に神だけを愛するかのテストだった。
混じり気があってもいいかのテスト。
まがい物でもいいかのテスト。
純粋に主だけを愛する者が、終わりの時代に求められる。
主だけを愛さなければ、信仰を貫けない試練の日がやがて来る。
本当に、主イエスだけを愛そうとするなら、苦しみを通ることは避けられないことだった。
そのテストにパスした者たちを、主は呼び寄せ、ご自身の有益な働きに就かせられる。
そこで、彼らは、試練の時に神が、彼らの内になさったみわざを知っていく。
すべての者が、神である主というお方を知るために、イエスという名前だけではなく、その本質を知るために、彼らは遣わされる。
彼らは、そこで、主である神をあがめる。

その時、彼らは言う。
「主よ。私はあなたに対して、不誠実でした。
長く続く苦しみから逃げようと、どれだけ自ら努力したでしょう。
主から目を離すと、罪しかない私に、主に目をかけていただく資格など何もないことを、痛感しています。
それでも、こんな私を、主は用いて下さると言って下さっているのでしょうか。
その恵みはどんなに大きい事でしょう。身に余る光栄です。
もう一度、あなたにすべてを捧げる決意をさせていただいても、いいでしょうか。
その決意を受け入れてくださるでしょうか。」

神は言われた。
「わたしは隠れ、あなたの心を見ていた。試練の中であなたの心がどのようであるかを。
苦しみを耐え抜くために、犯してしまった罪は決してよくはないが、罪を犯してしまう心、また、罪を犯した後の心をも私は見ている。
悔い改め、方向をわたしに合わせて、歩んできなさい。
わたしと一緒に歩んでいきましょう。助け主ながいつもともにいる。」

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2012年11月13日 (火)

恵みは低いところへ下る!!

「ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。」(Ⅰペテロ 5:6)

ある姉妹が、職場の年下の女性との関係に悩んでいた。
自分に対し、乱暴な口調で指図する態度が、時に苦痛に感じられた。
穏和にやり過ごしても、同僚の横柄な態度は、周囲に心配されるほどになっていった。
言葉で、治めようと努力すれば努力するほど、絡み合ってしまうのだった。
ある日、「あなたは、手に負えない人間の心を自分のほうへ向けようと、必死で努力している。自分はこのままでOKなのだというところに立って歩んでいる人は、他の意見を決して取り入れようとはしない。その努力を祈りにせよ。その人たちの状態をご存知なのは、主なる神であり、主は、その人の一生を取り扱っておられる。主の手に委ねなさい。」と心に語る声がした。
主の愛を示すためと言い聞かせながら、実は、自分が愛されたかったのだということを認めた時、心が楽になった。
その言葉で、主の自分への愛を知った彼女は、同僚の態度も気にならなくなっていった。
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他人を高慢だと思うのも、また高慢である。その状態は、自分は他人の高慢の上にいることになる。
人は上辺だけでは、本当の姿はわからない。主だけがご存知である。
本当の謙遜とは、人を自分の思いで変えようとせず、すぐれている部分を見つめ、神に委ねることである。
ありのままの自分自身を受け入れ、明日も、主に委ねて歩んでいこう。
恵みは、低いところに下る!!

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