2012年10月 3日 (水)

どんな境遇にあっても

「乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。」(ピリピ4:11)

どんな境遇の中にあっても、満ち足りることなど、どうしたらできるのだろうか。
貧しいと心配が絶えず、飢えると欲しくなり、乏しいと満たしたくなるのが、常である。
しかし、パウロはあらゆる境遇に対する秘訣を心得たと言う。
どんな境遇にあっても、御ち足りることを学んだと言っている。
パウロは、自分を強くしてくださる方、すなわち、神によって、どんなことでもできるのだと、その秘訣を語った。
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いつもともにいてくださる神を知ることは、どんなに強みとなることだろうか。
天の蔵は無尽蔵である。
貧しい時、信じて祈れば、与えて下さる神がいる。
飢える時は、すべてをご存知で、養って下さる神がいる。
乏しさを覚える時は、ご自身の栄光の富をもって、必要をすべて満たしてくださる神がいる。
限界のある自分の力で頑張ろうと思うと、不安で仕方ないが、神というお方を知れば知るほどに、平安が満ちてくる。
もっともっと、神であられる主を知ることができますように。

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2009年4月20日 (月)

一致を保つには…

「こういうわけですから、もしキリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。」(ピリピ人への手紙 2:1,2)

神を見上げるというその一つ心を保つならば、そこには一致が見られる。
神は愛である。神への心がなくなれば、そこには、分裂をもたらす思いが生じる。

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あるクリスチャンの指導者が試練の内にあった。
苦しくて苦しくて、それでも神を見上げて礼拝していた。
試練は長かった。
次第に、「こんなに長い試練は、何か間違っているからではないか」とささやく者が出てきた。
そして礼拝を休む者が出てきた。
試練の内にあった指導者は、追い討ちをかけてくる苦しみゆえに、こう言った。
「間違っていると思う者は、私の所を離れて他の所にいってもよい。」
この言葉を受け、離れていく者が起こった。
しかし、神を愛する指導者を見てきた者たちは、神に祈り続けた。
指導者の負っていた苦しみは、産みの苦しみであった。
残った人たちと共に、神の働きは前進した。

今日も、神の愛にとどまり続けよう。

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