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2014年8月10日 (日)

『「健全な信仰」と「カルト化した信仰」』(ウィリアム・ウッド著 いのちのことば社発行)

Kenzen律法主義と神の恵みとの戦いは、いつの時代にも起こっている。

「信仰」について、 わかりやすく書かれていて読みやすい本である。

「信仰」とは、「献身」とは、「みこころ」とは、「みことば」とは、「牧会」とは、の5つの項目に分けて説明されている。

「キリストが十字架上で人類の罪を贖ってくださったからです。人間の実績ではなく、キリストの十字架の功績です。ここに、人が神との交わりを回復し、また神との良い関係が保たれる唯一の根拠があります。ですから、健全な信仰を持つクリスチャンは次のように考えます。
『私が救われたのは、私が何かの善い行いをしたからではない。ただ、神の一方的な恵みにすがることによってのみ義と認められた。また、日々、神の祝福と守りの中で歩むことができるのも、私がクリスチャン生活の中で合格点を取っているからではなく、キリストを信じる信仰があるからだ。』」(17,18頁)

「サタンに対して無警戒になることは危険ですが、その一方で、サタンの存在を意識し過ぎて、必要以上に恐れることも大きな問題であり、サタンの思うつぼですなぜなら、サタンのことに神経が集中している間、神に心が向いていないからです。
聖書は、悪魔の働きが神の支配下にあることを明記しています。つまり、サタンは神の許可なしには、何もできません。確かに、神のご計画の中でクリスチャンがサタンに試みられることがあります。その場合、神の目的はクリスチャンの霊的成長であり、サタンの目的はクリスチャンを罪に陥れようと誘惑することですが、悪魔の餌食にならないための最善の対策は、神の恵みを求めることです。」(19頁)

「マインド・コントロールとは、ある人(あるいは組織)が別の人の精神を操作することを指しますが、コントロールする側の人間は自分の霊的・精神的・知的卓越性を主張したうえで(神の代弁者、神の油注がれた器)、絶対的服従を要求します。そこで、相手の主張を受け入れた場合、人はだんだんと相手に依存するようになり、さらに思考停止になり、ロボット的存在と化してしまいます。言うまでもなく、人がこのような状態に陥ることは、カルトの指導者にとっては好都合です。自分の野望達成のために、人をこき使うことができるからです。」(24頁)

「カルト化した宗教団体において、『自分を捨てる』とは、自分の思考力や判断力を捨てて無条件に指導者に服従すること、自分の夢や思いや主張や好みを押し殺して徹底的に指導者に仕えることを意味します。言うまでもなく、日ごろ、自分のことを無価値な人間だと思い込んでいる人にとっては、それはさほど難しいことではないでしょうが、神の喜ばれる健全な奉仕生活は、出発点が違います。『私は神から賜物を与えられている貴重な存在だ』という認識に立つのでなければ、奉仕は長続きしないのです。」(34頁)

また、心に浮かんだ思いがみこころかどうかチェックする助けとなる「みこころを確認するためのステップ」が6つ書かれていた。

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