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2014年4月 9日 (水)

「霊の戦い―虚構と真実」(ウィリアム・ウッド/パスカル・ズィーヴィー著 いのちのことば社発行)

Reitatakai 教えの行き過ぎを防ぎ、一致を保つために、必要な事柄が書かれていた。

「私たち人間は弱い者です。知らないうちに様々な偶像を作ってしまいます。神よりも富に頼ったり、神のみこころよりも名誉を求めたり、神よりもこの世を愛したりするようになってしまいます。偶像を持っていては、本当の幸せも得られないし、神のみこころを行うこともできません。そこで主は、私たちに試練を与え、軌道修正をさせてくださいます。苦しい時に、私たちは自分の人生の優先順位を考え直します。
『主よ、あなたこそ、私のすべてです。あなたのみこころこそ、私にとっては最善です』という信仰の基本に戻るのです。ここに神の目的があるわけですが、霊的戦いにこだわり過ぎると、主の計画を見失うばかりか、場合によってはその計画に反対することになります。
思うようにいかないことがあると、へりくだってそのことを主に委ねるのではなく、邪魔するサタンを縛る。このことにどんな目的があるのか、私の学ぶべきことは何かと考えるのではなく、『必ず私の信じたとおりになるはずだ』と宣言する。こうなると、私たちのクリスチャン生活の焦点がズレていると言わざるを得ません。一番大事なのは、私たちのプランの実現ではなく、みこころの実現です。そして、そのみこころの中で、特に神が望んでおられることは、私たちがいよいよイエスさまの御姿に似た者となることなのです。」(35頁)

ちょうど、ヨブのことを考えていた時に、下記の表記を読み、うなずきました。

「試練を通して清められたヨブは、ただ神を愛し、神に頼り、自分の身を神に委ねる者となりました。つまり、富や名誉に対する執着心、あるいは関心がなくなったのです。与えられれば感謝なことだし、与えられなくても感謝なことだ。このような信仰をもって、人生の新たなスタートを切ったわけですが、ここまで徹底的に神に扱われて、整えられた人は、どんなに富や地位が与えられても、大丈夫です。神から目を離す心配がないからです。一方、まだ富や名誉を愛したり、求めたりする思いが残っている人に対しては、主はヨブと同じような祝福を注ぐことはできません。危ないからです。その人のためにならないばかりか、悲劇を生み出してしまいます。
 結局、ヨブはサタンの訴えが嘘であったことを証明しました。御利益があるから、神に仕えていたのではありません。自分の創造者であるから、主権者であるから、良いお方であるから、そのみこころに従ったのです。サタンは、人がこのような信仰に至らないように働きます。そうです。これが最大の霊的戦いです。そして私たちはキリストの権威をもって、この戦いに臨み、サタンに立ち向かうのです。」(38頁)

行き過ぎて神から目を離してしまわないように、主イエスとともに歩んでいきましょう。

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