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2014年2月

2014年2月21日 (金)

「主は本当にそう語られたのか?」(ジョン・ビビア著 サムソン・パブリケーション発行)

Syuha

知りたかった答えがここに書かれていました。惑わしから守られるために、クリスチャン必読の本です。

全部を紹介したいくらいですが、ここでは、“落ち穂”が実を結ぶために、特に知っておく必要があることを抜粋しました。

【この本が書かれた経緯

「神が語られたのではない「ことば」によって人生をだめにされた人たちの話や、実際に自分が出会ったそういう人たちのことを思い起こしました。そしてついに、主が私を信頼して託されたこのメッセージを伝えないわけにはいかないと、私の心が定まりました。

本書には、実際に起こった出来事が含まれています。それは、実話を通して学ぶことで、本物と偽物とを見分ける目を養えると思ったからです。」(26頁)

【惑わしのタイプ】

【成功への願いの危険】

【真の預言者に訓練中はない】

【偽預言者が反抗心を助長する】

【イエスの権威に真っ向から逆らう善が存在する】

【反抗的な預言者?】

【今日にも適用されるイゼベルのはたらき】

また、テアテラにある教会の御使いに書き送れ。『燃える炎のような目を持ち、その足は光り輝くしんちゅうのような、神の子が言われる。「わたしは、あなたの行ないとあなたの愛と信仰と奉仕と忍耐を知っており、また、あなたの近ごろの行ないが初めの行ないにまさっていることも知っている。…」ヨハネの黙示録 2:18-19

この教会には、クリスチャンとしての働きと愛に溢れていました。人々は積極的に奉仕をし、その忍耐と信仰は本物でした。…

ここで主はご自分を、燃える炎のような目を持った存在として描かれています。これは、どんなに暗闇やベールに包まれたものであっても、物事の本質を見抜くずば抜けた能力を表しています。…しかしイエスは、この教会が行っていたすばらしい働きを通り越して、その奥に存在する危険な問題点を指摘されたのです。主は次のように警告されました。

しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは、イゼベルという女をなすがままにさせている。 ヨハネの黙示録 2:20

私はすぐに、イゼベルという名前に目を留めました。いつものように、列王記第一を開けて、イスラエルの王アハブの妻、女王イゼベルに関する記録を読み始めました。…しかし、その時私が聖書のページをめくっていると、御霊が、「ジョン。なぜ私がこの教会[テアテラにある教会について語ったメッセージを学ぶのに、女王イゼベルの記録を開けようとするのか]と語られるのが聞こえました。

そこで私は立ち止って、ふと考えました。「そうするべきだからではないか。また、みんながそうしているからではないか。この霊がどのように働くのかを学ぶ手段といえば、あの女王イゼベルについて学ぶことによるのではないか」と。

すると、主は再び、「ジョン。もしイエスの義理の父であるヨセフについて学びたかったら、創世記に記してあるヤコブの息子のヨセフについて学ぶか」と尋ねられました。

私は混乱して、ただ「いいえ」と答えました。

それから主は、次のように言われました。「創世記のヨセフと新約聖書のヨセフには、名前が同じで、同じユダヤ人であるという以外は、なんら共通点は存在しない。同様に、列王記の第一と第二に記されているイゼベルとヨハネの黙示録に記されているイゼベルは、何の関係もない。テアテラの教会にいるこの女の働きについて、あなたが知りたいと願っていることのすべては、ヨハネの黙示録の中に記されている。旧約聖書に出てくるもう一人のイゼベルは、この問題を不透明にし、混乱させるだけだ」と。」(174-176頁)

【サタンによる惑わしの深さ】

【自称預言者、それとも神に任命された預言者?】

【砕かれること―主の働きに就くために通らなければならない道】

【イゼベルの棘】

【講壇以外の場所ではたらくイゼベル】

【賜物と権威は別】

【神の権威の下から引き離される危険】

【羊の皮を着た狼】

【実は霊によって見分けられる】

【偽預言者の動機】

【実によって見分ける】

【偽預言者の標的】

「自分を孤立させると、大牧者なるイエスの導きも、イエスからの保護も受けられなくなります。キリストのからだという避難所にいなければ、簡単に敵の餌食になってしまうのです。パウロが熱心に、長老たちに対して、このことを警告したのを思い出してください。

私が出発したあと、狂暴な狼があなたがたの中にはいり込んで来て、群れを荒らし回ることを、私は知っています。あなたがた自身の中からも、いろいろな曲がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起こるでしょう。 使徒の働き 20:29-30

最も簡単に群れから孤立させることができるのは、弱く、若く、傷ついた者たちです。このような人たちが一番、偽りの預言に惑わされやすいのです。若い信者は、まだ未熟で神のみことばをよく知らないため、簡単に群れから引き離されるのです。…イエスはペテロに、主の小羊と羊の両方を養い、面倒を見、あるいは保護するようにと命ぜられました(ヨハネ 21:15-16)。これが、真の牧者としての責任です。…

弱い羊もまた、簡単に群れから引き離されてしまいます。なぜなら、義の教えにまだ通じていないからです(ヘブル 5:13)。…

しかし、偽預言者が第一のターゲットとして狙っているのは、心に傷のある者、あるいは人につまずいた者たちなのです。彼らにとっては、そういう人たちこそ最も貴重な獲物なのです。なぜなら、人につまずいた者たちは、自らを孤立させるからです。…同様に、人につまずいた人たちも、自分の周りに城壁をめぐらせて、自分を守ろうとするのです。そういう人たちは、何千人という大きな教会の中に座っていても、孤独なのです。また、大家族の一員であっても、心は遊離しているのです。自分自身を守るためにグループから離れるのですが、そうすることにより、偽預言者の惑わしに陥りやすくなるということなど、思いも及ばないのです。」(239-241頁)

【主の御名の利用は神が最も忌み嫌われる】

【あからさまにだまされたりはしない】

【真理を愛する】

【平安が判断の基準】

【偽りの預言をどう処理するべきか】

【ことばの背後にある力を打ち破る】

【警告の必要】

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2014年2月12日 (水)

映画「シークレット・サンシャイン」

Secret
何年か前に、新聞の書評で紹介されていた映画。
被害者の心を置き去りに、宗教的にみことばを使う危険を伝えていた。

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夫を亡くしたばかりの夫人シネが、小さな一人息子を殺されてしまう。
死亡届を出しに行ったシネは、苦しみに耐えきれなくなって、役場を後にする。
そこへ、キリスト教会の賛美の歌が聞こえてきた。
聖霊に満ちた賛美に導かれ、教会に入ったシネは賛美と牧師の祈りの中、慟哭した。
神に触れられ、平安に満ちた顔のシネ。
熱心に教会活動に打ち込んだ。
しかし、深い痛みは、宗教行為では消えるものではなく、ふとしたことで、シネを襲う。
この苦しみから解放されたく、ある時、犯人に神の愛と赦しを伝えるために、刑務所に行くことを、宣言した。
牧師やメンバーから賞賛を受け、彼女は刑務所に出向いた。
犯人に面会し、「神の恵みと愛を伝えにきた」と告げたシネに、犯人は、「心から感謝します。私も入所してからキリストを信じました。すばらしいことに、神に罪を赦されました。平安の中、毎日、祈ってます。」と謝罪もなく、笑みを浮かべて語った。
犯人は、刑務所伝道でか、その他のことでか、(中途半端に?)神を信じていたのであった。(本当の回心は、被害を与えた人に謝罪の心が伴うものだ!)
シネの苦悩が再び始まった。
「神は、なぜ…? 私をも愛しているはずの神がなぜ…?自分が苦しんでいる間、犯人は許されたと言って平安に過ごしていた。」
神に訴えるかのように、荒れた生活をするシネ。
そのシネの傍に、いつもよりそい支えるジョンチャンの姿は、陽だまりのように支える愛が、いかに大切かを、語っていた。

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この映画のDVDを見て、被害者支援の必要を感じた。
すべてのクリスチャンが、人の心を知り、宗教的(律法的)ではなく、キリストの愛によって、みことばを語ることを願わずにはいられない。

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「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。」(ローマ 12:15)

 

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