« 2013年8月 | トップページ | 2013年10月 »

2013年9月30日 (月)

いつでも平安!!

「彼らは、『あなたは気が狂っているのだ』と言ったが、彼女はほんとうだと言い張った。そこで彼らは、『それは彼の御使いだ』と言っていた。」(使徒 12:15)

ペテロは殺されるために牢につながれていた。
ヘロデは、すでに教会のある人々を苦しめるために、迫害の手を伸ばし、ヨハネの兄弟のヤコブを剣で殺していた。
2本の鎖につながれていたペテロは、なんと御使いの光で照らされても起きることもなく、御使いに脇腹を叩かれ起こされるまで、2人の兵士の間で寝入っていた。
ヘロデがペテロを引きずり出そうとしていた前夜、御使いかペテロを救い出しにやれって来た時、ペテロは現実の事と思わず、幻だと思った
ペテロはどこにいても、平安であった。
牢につながれていても、それは変わらなかった。
それは主が助けてくださるからという理由付きの平安ではなかった。
死に打ち勝たれた神なるキリストから目を離さないでいたのである。
かつては湖の上で、イエスから目を外し、波を見た時、沈んでしまったペテロであったが。
--------------
死をも恐れない信仰。それは自分で決心し頑張ってなせるものではない。
イエスさまとの日々の偽りのない交わりの中で、培われたものである。
そのようなペテロには、救い出された後も、自分を殺そうとしたヘロデに対する負の感情は見られない。
いつも、死に打ち勝たれたイエスを見上げて歩もう。
永遠の世界がそこにある!

| | コメント (0)

2013年9月29日 (日)

真理への愛を知ろう!!

「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」(ローマ12:2)

世的なメッセージはクリスチャンを生ぬるくする。
真理をゆがめ、神への侮りの道に誘導する。
神は愛の神なので、そんなに厳しいことも、狭い考えでもないよと、安心させる。
しかし、「金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとや
さしい。」(マタイ19:24, マルコ10:25, ルカ18:25)と言われる神が、果たしてどう言われるか?
神の愛は、見せかけのものではなく、私たちをご自身の義の道に導いてくださるもので、時には厳しさを伴うものだ。
それは、真理への愛(2テサロニケ 2:10)と言われているものである。
--------------
厳しい聖書の言葉には、神の愛がつまっている。
私たちが、弱い人間だということを知っておられるゆえに、滅びに向かわないよ
う願って、語っておられる。
原罪を持つ私たちが、神の国に入るためには、心の変革が必要である。
世に流されず、神に導かれることが必要である。
まず、神の愛がある。
世に流されやすい者であると認め、主にすがっていこう。
主が助け導いて下さる!!

| | コメント (0)

2013年9月24日 (火)

人のパワーと神の力は異なるもの

「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」(Ⅰコリント 1:18)

プラスのパワーをもらえるところに、人は群がる。
自己啓発やカウンセリングのセミナーが、人気を博している。
それもある程度は、解放を得られるだろう。
しかし、時が経つにつれて、パワーがなくなり、リバウンドすることになる。
応急処置にはなるが、根本的な部分は、なおも解消されずに、深い部分に眠って
いる。
神の力は、人の目には、一見愚かに見える。
自分を捨て、高ぶりを捨て、へりくだって神のもとに来なければ、知ることので
きない道である。
--------------
十字架上で、主イエスは言われた。「主よ。彼らをお許しください。彼らは、何
をしているのか自分でわからないのです。」と。
強そうに見える人に、頼りたい思いが人間にはある。
私たちは、皆、「何をしているのか自分でわからない」神から的を外してしまう
罪の性質を持って、この世に生まれている。
力がなくなった時には、「何をしているのか自分でわからない者です。どうすれ
ばよいか教えてください。」と、まず神の前に聞いていこう。
その時、神の力が、注がれる!!

| | コメント (0)

2013年9月 9日 (月)

仕えあう心で

「私は言った。『私はもう、あなたがたを飼わない。死にたい者は死ね。隠されたい者は隠されよ。残りの者は、互いに相手の肉を食べるがよい。』」(ゼカリヤ11:9)

曲がったものはますます曲がってそれていく。
そのような時代である。
知識と知恵を得ていると慢心する者は、わたしに聞こうとしない。
プライドと妬みがわたしの語る言葉をさえぎる。
悔い改めよ。恵みのある内に。
それて戻ろうとしない者は、互いの肉を喰らって滅びに向かう。
わたしはそれを望んではいないが、彼らがその道を選んだのだ。
わたしは用いたいと思う者を用いる。
敵も主の御手の中で、主が使われる。
--------------
主に用いられることは、光栄なことかもしれないが、それよりも大切なことがあ
る。
主にあって、どんなときも感謝しよう。
へりくだって、主のことばを受け取ろう。
いつの時も、主を認め、仕えあって行こう。
恵みは高いところから、低いところに流れる。

| | コメント (0)

2013年9月 8日 (日)

信仰によって受け取ろう

「わたしが彼らにたとえで話すのは、彼らは見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、また、悟ることもしないからです。」(マタイ 13:13)

主イエスは、多くのことを集まってきた群衆にたとえ話で話された。
そして、「耳のある者は聞きなさい。」と言われた。
人は心地よいことばは歓迎するが、耳触りの悪い言葉ははねのけてしまう。
弟子たちが、「なぜ、たとえでお話しになったのですか。」と尋ねると、主イエ
スは冒頭のように答えられたのである。
--------------
そのことが事実であったとしても、皆がそれを受け止められるとは限らない。
受け止められるだけの信仰が必要である。
信仰の度合いによって、主は奥義を語られる。
既に知っていると思う者は、主に聞くことはない。
へりくだって聞こうとする者に主は語られる。
プライドは、主のみこころを知ることを妨げる。
孤立することを恐れ、神に頼らず人に頼ろうとする者は、やがて大いなる試練の
時に、耐えおおせない。
恐れることなく、「わたしの羊は、わたしの声に聞き従う。」と言われた主の声
だけに耳を傾け、従って行こう。

| | コメント (0)

2013年9月 3日 (火)

証への非難にくじけそうになった時

「これを聞いたパリサイ人は言った。『この人は、ただ悪霊どものかしらベルゼブルの力で、悪霊どもを追い出しているだけだ。』」(マタイ 12:24)

ある主にある人が、自分に主がどんなふうに働かれたか、主の証を出会う人ごと
にしていた。
しかし、信じてもらえず、しかも信仰の先輩たちからも、戒めの言葉をかけられ、
喜びが失われていきそうになった。
主に心を向けた時、主が語ってくださった。
------------------
あなたの証への中傷は私への中傷であることを覚えなさい。
信仰の目で見ず肉の考えで判断することがパリサイ人の道です。
パリサイ人らは宗教的に頭で判断し、動いた結果、わたしを十字架につけて抹殺
しようとしました。
あなたの歩んだ道は、わたしや父なる神が人間に注いだ愛=神の愛を現す道でした。
引きずり降ろそうとする敵の策略に翻弄されずに、わたしから離れずについてきなさい。
あなたに与えた霊的感性は、これからの時代になくてはならないものです。
自信を失うことなく、突き進みなさい。
やがて主の栄光を見よう。

| | コメント (0)

2013年9月 2日 (月)

涙の伝道

「なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」(黙示録 7:17 )

神のもとに立ち返るよう、神の愛に立って、宣べ伝えている伝道者がいた。
来る日も来る日も、語っていたが、誰も耳を傾けることはなかった。
涙とともに祈りを捧げたその時、主が語ってくださった。
----------------
あなたが流してきた涙は決して無駄にはならない。
時がきて必ず神の栄光が各教会を訪れる。
その時、神に敵対していた者たちは、歯ぎしりして悔しがるが、もはや遅い。
その時、彼らは神という方を知ることになる。
恵みの時に宣べ伝えよ。
過ちに走っている人々に、語り伝えよ。
彼らが聞いても聞かなくても語れ。
エレミヤの精神があなたの内にある。
その精神からぶれることなく、みことばを伝えよ。
わたしの嘆きを、わたしの悲しみを、罪人たちに伝えよ。
希望を捨てることなく、語り告げよ。
立ち返る者たちのために、語り続けなさい。
主なるわたしがいつもあなたとともにいることを、忘れずに!

| | コメント (0)

« 2013年8月 | トップページ | 2013年10月 »