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2013年8月31日 (土)

主の働きに自信がもてない時

「一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。」(ローマ 12:4,5)

あるクリスチャンの姉妹が、自分には、主の役に立つものが何もないように、思
えて仕方がなかった。
何かをしようと思った時には、既に他の人が先にやってしまっていた。
そのような彼女に主は語られた。
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あなたに必要なものは自信を持っての実行である。
あなたは充分役立っている!娘よ、自信を持ちなさい。
あなたに与えた知恵と知識、賜物は無意味なものではなく、人の役に立つものです。
大胆に自信を持って突き進みなさい。
あなたにしかできない働きがあります。
それぞれに与えた良いものを守りなさい。
誰にも奪われないように、私から目を離さないように、従ってきなさい。
私に主権を明け渡した時に、主の道がまっすぐに開かれます。
不要な恐れを捨て、その道を歩んできなさい。
そうした先にあるものは、主の栄光である。
すべての者がその主の栄光を見て、主を恐れ、主である私がどういう者であるかを知ろう。
皆が同じ働きをなすわけではない。
それぞれの内に、みこころによって与られたものがある。
そのみこころのポジションに忠実に従って、それぞれの役割りを果たした時に、主の栄光を見よう。

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2013年8月30日 (金)

主のみこころ

「あなたの冠をだれにも奪われないように、あなたの持っているものをしっかりと持っていなさい。」(黙示録 3:11)

黙示録の7つの教会に言われている言葉。フィラデルフィアの教会には、苦しみと貧しさのスミルナの教会と同様、叱責のことばが見当たらない。
何がほめられているか。「わたしは、あなたの行ないを知っている。」と言われている。
主はそれぞれの行ないに従ってさばかれるお方である。
彼らは何か特別なすごいことをしたわけではない。
自称、神の民だと言っているサタンの改修に属する者の中にいて、そこに同化せずに、信仰を守り通していた。
「少しばかりの力があって(わずかな力しか持っていないが〈詳訳〉)、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかった」というのが、称賛の理由であった。
忍耐を尽くして主のことばを守ったから、来たるべき試練の時にはあなたを守ろう、と言われている。
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主の喜ばれる信仰は、特別な力が必要なわけではない。
すばらしい能力や賜物が必要なわけでもない。
自分に与えられているだけの力をもって、神のことばからそれず、神に従っていくだけでよいのである。
そのような行ないには、誇るところはない。主はそれを称賛してくださる。
しかし、これが罪の性質のある人間にとっては、なかなか難しい。
罪にいざなう罠が待ち構えている。
与えられている信仰を、感謝をもって守り通していこう。主が見て下さっている。

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2013年8月28日 (水)

伝道の精神

「ご承知のとおり、ユダヤ人が外国人の仲間にはいったり、訪問したりするのは、律法にかなわないことです。ところが、神は私に、どんな人のことでも、きよくないとか、汚れているとか言ってはならないことを示してくださいました。」(使徒 10:28)

Sさんのもとに、毎週訪ねてくる2人組の人たちがいた。正統な教会からは、いわゆる異端と呼ばれている人たちだった。
Sさんも他の人がしているように初めから相手にせずに、丁重に断っていた。
ある日、入信したてのように見えるおばあさんがベテランの女性とともに、訪ねてきた。
「必要ないので…」とドアを閉めた途端、「あのおばあさんは、今が本当の福音を聞く唯一のチャンスだったかもしれない。」という追いかけたくなるほどの思いがやってきた。
実際、そのおばあさんは、何も知らないで話しをしているうちに、異端の信仰に至ったのであった。
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何も知らないままに、聖書を知りたいという思いから、異端に入信する人もいる。
そのような人を敬遠していては、神の愛に生きることはできない。
神は罪人の私たちを愛し、十字架にかかり、その尊い血潮を流して下さった。
地上の偏見や価値観を捨て、真理への愛を指し示しつつ、人に接していこう。
そこに神の国が到来する。

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2013年8月27日 (火)

負の感情の扱い

「私は黙っていたときには、一日中、うめいて、私の骨々は疲れ果てました。」(詩篇 32:3)

人生において、時に不当と思えるような扱いを受けることがある。
「なぜこのようなことをされないといけないのか。」「なんで自分ばかりが…」「もうやってられない!」…いろいろな負の感情がやってくる。
これを相手にぶつけたところで、争いや不和を招きかねない。
それで、感情を抑えることがよい人のように、嫌な思いや傷を抑えて、黙って蓋をしてしまう。
が、不安や疑問は解決されず、内心はどろどろだ。どれだけ耐えられるかの我慢大会になってしまう。
これは、神の恵みの世界ではなく、律法に生きようとする者の世界である。
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どのような状況下であっても、自分の心を見張り、湧き上がってくる負の感情(不信仰から出たことば、疑い、高ぶり…)を正当化したり、逃げたりせず、主の前に注ぎ出そう。
主は私たちの隠れ場である。主は苦しみから私たちを守り、悟りを与え、行くべき道を教えてくださり、助言を与えてくださるお方である。
主に信頼する者には、恵みが、その人を取り囲み、喜びで満たして下さる。
主に信頼しよう!!

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2013年8月 7日 (水)

「この時」の備えをされる主

「もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」(エステル 4:14)

王妃ワシュティが王の怒りにふれて退けられ、エステルが代わって王妃となった。
美しさだけではない、モルデカイの養育のもとで養われたエステルが持つ品性が王の心を捉えたのである。
王妃になった後も、エステルは養育者モルデカイの言いつけに従って日々を送っていた。
そのような中で、王の家来のハマンが、王に認められて、上の地位に就いた。
このハマンは、モルデカイが自分を崇めないことに憤り、ユダヤ人撲滅を企て、王の法令として国中に発布した。神の民の危機である。
モルデカイは、救うことができる立場にあるエステルに、王にあわれみを求めるよう言ったのであった。
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神の国は、統率がとれているところに現れる。人間的な統率ではなく、神の統率である。
王妃ワシュティは、自分の思いを優先し王の命令を無視した結果、王に恥をかかせる行為によって、失墜した。
エステルは、神を恐れる養育者モルデカイの言いつけを守り、王国の命令にも従い、謙遜な中にも祈りつつ神を第一とする芯のある行動をとった結果、神の民救い、陰謀を企てた神の民の敵を滅ぼすことができたのである。
神は、すべての時のために備えをしておられる。自分にとっての「この時」を知ることができますように。

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2013年8月 6日 (火)

対人関係

「人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。」(箴言 29:25)

日本人は、和を大切にしてきて、それを美徳としてきた。
信仰を送っていく中で、対人関係においての思わぬ試練がやってくることがある。
誤解があったり、気持ちのすれ違いだったり…。
そういう時に、和を保とうと言い訳や弁解をしていくと、余計にこじれていくことがある。
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言い訳や弁解は、人を意識してするものである。
神は、すべてをご存知である。
その神に信頼をおいて、静まってみよう。
主に信頼し続けた時、思わぬわなから、主が守ってくださったことに、気づかされるだろう。
明日も、揺るがされることなく、主を信頼していこうではないか!

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2013年8月 4日 (日)

赦しの神

「彼らは聞き従うことを拒み、…ひとりのかしらを立ててエジプトでの奴隷の身に戻ろうとしました。それにもかかわらず、あなたは赦しの神であり、情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かであられるので、彼らをお捨てになりませんでした。」(ネヘミヤ 6:8)

神によって、エジプトでの奴隷生活から贖い出され、主のみわざを間近で見てきた神の民であったが、自分の思い通りにならない荒野の生活に嫌気がさし、モーセを通じての神の言葉を待たずして、自ら徒党を組んでエジプトに戻ろうとした。
それだけではなく、自分たちのために目に見える神を求め、金の子牛を造り、これが神だと言って、祭りを開いたこともあった。
民は荒野の道中でつぶやき続けるにもかかわらず、主は忍耐と愛をもって、必要を満たし、民を導いてくださったのである。
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主は赦しの神である。自らの罪を考えた時、そのことがよく理解できる。
自分がどれだけ多く許されてきたことか、罪を見過ごされてきたことか。
そのことを知ると、感謝以外の言葉が見つからない。
今日も、一つ一つを思い起こし、感謝に満たされよう。
神に思いをはせる時、心をふさいでいた問題が何と小さいものであるかを知るだろう。
神がともにいて下さる!

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2013年8月 3日 (土)

恐れるべきお方は神だけ

「そこで、私は彼のところに人をやって言わせた。『あなたが言っているようなことはされていない。あなたはそのことを自分でかってに考え出したのだ。』と。」(ネヘミヤ 6:8)

城壁がないままとなっていた神殿に、城壁を造らなければと、ネヘミヤは立ち上がり、城壁建設に取り掛かった。
神殿建築と同様、敵の妨害にあい、更に一致を乱す内部の問題が起こったが、城壁は完成し間際となり、あとは門のとびらを取り付けるだけとなった。
が、敵はあきらめず、陰険な策略をもってネヘミヤの気力を失わせようと何度も執拗にやって来た。
5度も使者を遣わし、反逆をたくらんでいるため城壁を建築しているのだと事実無根のうわさをばらまき、それでだめなら、預言者を使って罪に陥れるためのわなをしかけた。
しかし、ネヘミヤが神だけを恐れ、他の何ものをも恐れない態度を崩さなかったため、敵は何もできず、遂に、城壁は完成し、神の栄光となったのであった。
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神のみこころの中を歩んでいる時に、思いがけない妨害がやってくる。
振り払っても振り払っても執拗なまでにやってくるかもしれない。
そこで大事なことは、恐れるべきお方は神だけだということを忘れないことだ。
人を恐れるとわなにかかる。
恐れがやって来た時は、しっかりと神を見上げ、思い煩いを御前に言い表していこう。
乗り切る力は神から来る。
私たちを愛し十字架にかかってくださり、ありのままの力で従いなさいと言われた主がともにいる!

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