« 2013年6月 | トップページ | 2013年8月 »

2013年7月

2013年7月 9日 (火)

「傷ついた道」への解決

「私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。」(詩篇139:24)

「傷ついた道」というのは、苦痛に導く道ということだ。悲しみの道とも言える。
この詩篇の作者は、神への恐れを持たずに神の名の権威を軽々しく用いているような人々との戦いの中にあった。
同じ神の名を用いる敵、実質の実(実体)が全く異なる神だとわかるまでは、多くの悩み、苦しみが起こる。
まともに立ち向かっては、神を知らない人たちにとっては、仲間同士の戦いに映ってしまうので、神の栄光を考えると、知恵が必要だ。
その敵から来る苦悩は深いものであり、その中にあって、信仰者は砕かれ、品性が練られていく。
作者は、そのような苦悩の中で、まず、神の大きさ、性質に思いをはせ、平安に包まれていった。
そうして初めて、神に苦悩を包み隠さず言い表し、寄りすがったのである。
--------
「傷ついた道」への解決の道は、主だけがお持ちである。
自分で立ち向かっては、取り返しのつかない結果に終わりかねない。
破壊と分裂が残り、主へのあざけりをもたらしかねない。
本当の敵は、その人の背後にいるサタンだからである。
主の偉大さに思いをはせよう。そして、苦悩を言い表そう。
主がその問題を取り扱って下さり、ご自身の栄光を現される。

| | コメント (0)

2013年7月 4日 (木)

罪に対する態度

「かえって、彼らも、その息子たちも、これらの国々の娘をめとり、聖なる種族がこれらの国々の民と混じり合ってしまいました。
しかも、つかさたち、代表者たちがこの不信の罪の張本人なのです。」(エズラ 9:2)

神の民は、自分たちの犯した罪によって、捕囚という苦しみを通り、他国で奴隷生活を送っていた。
その中で、もう神の約束も忘れられ、人々は神の忌み嫌う国々の民と縁を結び、混じり合ってしまっていた。
この不信の罪を犯した張本人は、本来ならば、神のみこころを教えるはずのつかさたちや代表者たちであった。
宮は再建されたが、これからの課題は多かった。
このことを知ったエズラはショックを受け、夕方のささげ物の時刻まで、色を失ってじっと座っていたが、気を取り戻して、この状態を恥じ入って、とりなしの祈りを始めたのであった。
--------
あたり前のようになってしまった罪であっても、罪は罪である。
周囲の人たち全員が同じようにしていたとしても、罪は罪である。
基準は人ではなく、神である。
罪の状況を見てショックを受けるのは、神にある正しいあり方である。
ショックを受けなくなり、妥協するのがあたり前になってしまう前に、神のみ前に悔い改め、とりなしをしていこう。
そして、ショックを受けた後に、まずなすべきことは、へりくだった心での神へのとりなしの祈りである。
祈らずに、人間的に進んでいくなら、疲れ果て、妥協の道が待ち構えている。
あきらめるその前に、神のみ前にひざまずいて祈ろう。
神は、その祈りを受け入れて下さるから!

| | コメント (0)

« 2013年6月 | トップページ | 2013年8月 »